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絵本「まだ だれもきいたことがない おと」

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まだ誰も聴いたことのない音

 若い頃、僕は自分の演奏に、いつも言葉にできない違和感を抱いていました。人から評価されることはあっても、「本当に自分が求めている音なのだろうか」という問いは、心のどこかで消えることがありませんでした。

 その違和感が、23歳の時の僕を突き動かしました。答えを求めて、日本国内だけでなく海外へも足を運び、さまざまな先生方のレッスンを受け、多くの演奏会に足を運びました。

ウィーンでは、それまで信じていたピアニッシモの概念が覆されました。小さな音とは、ただ弱く弾くことではなく、小さな核を持ち、遠くまで響き、豊かな色彩をもつ音なのだということを知りました。その頃の自分の技術では実現出来ないと確信した瞬間でした。

ノルウェーでは、自然と共鳴するような透明で美しい響きに出会い、音は単なる強弱ではなく、空気や時間までも表現できるものなのだと感じました。

その後、ニューヨークでターブマン・アプローチに出会い、以前からやっいたアレクサンダー・テクニークと似てるが、更にピアノに特化した具体性や実践性を習得しました。身体の使い方が音楽を大きく左右することを実感しました。さらにリトミックやクリエイティブドラマを学ぶことで、身体表現や即興性、人との関わりを通して、表現とは技術だけではないことを深く理解するようになりました。

 特にクリエイティブドラマを学ぶ中で強く感じたのは、楽譜に書かれた音楽であっても、演奏は常に即興的に聴こえなければならないということです。あらかじめ書かれた音符を再現するのではなく、その瞬間に生まれた音楽として息づかせること。そのために最も大切なのは、豊かな創造性と想像力でした。

 そして、その創造性の根底にあるものを教えてくれたのが、僕の恩師でした。恩師はロシア・ピアニズムや重量奏法について、僕に多くの学びを与えてくださいました。しかし、それ以上に教えてくださったのは、楽譜を深く読むということでした。音符を追うのではなく、音楽修辞論をはじめ、作曲家が楽譜に込めた意味や語り口、そして創造性を支える思想や背景を読み解くこと。その学びは、僕の音楽観を根本から変えてくれました。

 その後、音楽大学、幼児教育・保育・児童教育系の大学で教鞭を執り、高等学校音楽科教諭として教育に携わる中で、多くの学生や生徒との出会いがありました。また、国際交流や音楽交流の経験も、常に自分自身を見つめ直し、新たな価値観に触れる大切な機会となっています。教えることは、同時に学び続けることでもあり、多くの出会いが今の自分を育ててくれました。

 振り返れば、僕は何かを積み重ねるだけではなく、何度も疑問を抱き、学び直し、ときにはそれまで信じていたものを手放す勇気を持って歩んできました。

 その繰り返しが少しずつ僕の音を変え、人との向き合い方を変え、音楽そのものへの考え方を変えてきたのだと思います。

そして今も、その旅は終わっていません。

一つの答えにたどり着いたのではなく、音楽を通して問い続け、学び続けること。その積み重ねこそが、僕にとっての音楽なのだと思っています。

本当に人を動かす音楽は、技術だけでは生まれません。

学び続ける姿勢。
疑い続ける勇気。
そして変わることを恐れない心。

挫折、、沢山しました。

正しいと思ったものを、幾度壊して、捨てて、一から築きあげたか

その静かな積み重ねこそが、今の僕の音色をつくっているのだと、心から感じています。

音は、人生そのものを映す。

今 61歳。

今日も、僕は楽譜の向こうにある、まだ誰も聴いたことのない音を探し続けています。

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ターブマンアプローチについて

30年くらい前かな?僕はニューヨークで2週間、学生寮に滞在しながら、朝から夜まで集中的にターブマンアプローチを学びました。

多分日曜日以外は、

  • 理論講義①
  • 個人レッスン
  • サブティーチャーによるレッスン
  • 理論講義②
  • マスタークラス
  • 夜のコンサート

というスケジュールが毎日続き、最終日には修了パーティーが行われました。

ここまで徹底して学ぶ理由があります。

ターブマンアプローチは、書籍や動画を見ただけ、あるいは数日間の体験だけで十分に理解できるものではないからです。

以前には、韓国のピアニストたちが数日間の講習だけで「習得した」と考えて帰国し、生徒に指導した結果、さまざまな問題が起こったことがあったそうです。その経験から、十分に理解し実践できるようになるまで修了できない仕組みになっていました。

ニューヨークでは、ターブマンアプローチは

  • 痛みなく演奏できる
  • 疲れにくい
  • 超絶技巧の作品も無理なく演奏できる

という点で高く評価されており、多くの音楽大学で研究・実践されています。

私が参加した時にも、著名なピアニストたちが共に学んでいました。

もちろん、ターブマンアプローチが唯一絶対の方法というわけではありません。しかし、

「身体に無理をかけず、自然で合理的に演奏するための優れたアプローチである」

ということは間違いありません。

また、この考え方はプロのピアニストだけのものではなく、初級者や趣味でピアノを楽しむ方にとっても有効です。

大切なのは、難しいことを力で乗り越えるのではなく、身体の仕組みに沿って、無理なく音楽を表現することなのだと思います。

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待つという教育

― 広島の二つの園で考えたこと ―

広島でアート保育を実践している、同じオーナーが運営する二つの園を訪れた。もう、この園で10年以上継続してこの活動を行っている。

場所は違うが、理念は同じである。

しかし、そこに流れる空気や時間の質は、驚くほど異なっていた。

私は即興でピアノを弾いていた。トランペットとの即興演奏。今回の隠れテーマは、雨 梅雨 ワクワク。もちろん子どもはそんなことは知らない。

「絵を描きましょう」とも、「音楽から何かを想像してみましょう」とも言わない。

描くか描かないか。

何をするか。

いつ始めるか。

それらはすべて子ども自身に委ねられている。

先生たちは見守る。

必要な時にだけ寄り添う。

それだけである。

しかし、「それだけ」ということほど難しいものはない。

大人はつい教えたくなる。

促したくなる。

正しい方向へ導きたくなる。

「こうしてごらん。」

「次はこれをやってみよう。」

「もっとこうしたら?」

それは善意であり、愛情であり、責任感でもある。

だからこそ難しい。

ある園では、先生たちの声がよく聞こえていた。

子どもたちをまとめ、促し、説明し、時に注意する。

音楽は流れている。

しかし、それはいつしか背景音になっていた。

子どもたちの想像力の入り口になる前に、多くの言葉が空間を埋めていく。

もう一方の園には、静かな空気が流れていた。

もちろん子どもたちは遊び、笑い、会話をしている。

しかし、大人の声が空間を支配していない。

必要な言葉だけがあり、必要以上の指示がない。

子どもたちは、それぞれの世界に入り込んでいく。

音楽はBGMではなく、自分の内側へ向かう扉になっていた。

印象的だったのは、公立幼稚園で「問題がある」とされ、転園してきた子どもの姿だった。

周りの子どもたちが絵を描いていても、その子は画用紙に向かわない。

一人で積み木の前に座っている。

何かを作る。

壊す。

考える。

また作る。

しばらく眺める。

そしてまた作り直す。

まるで自分の中にあるイメージと対話しているようだった。

誰かに評価されるためではない。

褒められるためでもない。

ただ、自分の世界を確かめるように、黙々と試行錯誤を続けていた。

その集中力は驚くほど深く、生き生きとしていた。

以前の環境では「問題」と呼ばれていたものが、ここでは何の問題にもなっていなかった。

いや、問題がなくなったのではない。

その子がその子でいられる環境があった。

それだけだったのかもしれない。

演奏中、一人の子どもが私のピアノに近づいてきた。

小さな指で鍵盤を押す。

ある園では、先生がすぐにやって来て、

「今は聞くんだよ。」

と言って、その子をピアノから離した。

演奏する人。

聴く人。

その境界ははっきりしていた。

しかし、もう一方の園では、誰も止めなかった。

子どもはピアノの周りで遊び始めた。

身体でリズムを取り、顔で表現し、やがて鍵盤に触れる。

私はその音に応える。

また子どもが音を返す。

いつしか即興の遊びが始まっていた。

そこには先生も生徒もなかった。

演奏者と聴衆もなかった。

ただ、人と人とが音で出会っていた。

その光景を見ながら、私は思った。

教育とは、何かを教えることなのだろうか。

むしろ、人は本来、自ら育とうとする存在なのではないか。

もしそうなら、大人の役割は育てることではなく、育つことのできる環境を整えることなのかもしれない。

教えることより、信じること。

指示することより、待つこと。

評価することより、一緒に驚くこと。

花を咲かせることはできない。

しかし、光と水と土を整えることはできる。

教育とは、花を引っぱって早く咲かせることではない。

その花が、自ら咲くことのできる環境をつくること。

広島の二つの園で見たものは、保育の違いではなかった。

人間をどこまで信じることができるか。

その問いを、大人である私自身に静かに投げかける風景だった。

そして、その問いは、子どもだけではない。

ピアノ教育にも、音楽にも、人生そのものにも、深くつながっているように思えてならない。

もしかすると、教育とは「教えること」ではない。

待つことなのかもしれない。

子どもが動き出すのを。

子どもが発見するのを。

子どもが自分のことばを見つけるのを。

そして、自分自身の花を咲かせる、その時を。

大人にできることは、そのための光と水と土を整え、静かに隣に立つこと。

それが、私が広島の二つの園で教えられた、

「待つという教育」

であった。

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公開レッスンを終えて

沢山の参加者の皆様ありがとうございました。公開レッスンを終えて反省と今後の事を考えてみました。

次回講座のテーマ案

「身体と音の基礎講座 ― 楽譜を音楽にするために」

先日の公開レッスンを通して、多くの方が北欧作品の魅力や、楽譜から音楽を読み取ることの大切さに興味を持たれていることを感じました。

しかし、それ以上に多かったのは、

「読み取ったことを、どう音にするのか」
「その時、身体や耳はどのような状態なのか」

という疑問でした。

音楽解釈は大切ですが、どれほど素晴らしいイメージや分析があっても、それを音として実現できなければ演奏にはなりません。

そこで次回は、

「身体と音の基礎講座」

として、

  • 良い音を生み出すための身体の使い方
  • 聴くべき音、耳の使い方
  • 姿勢や脱力の基本
  • タッチと音色の関係
  • フレーズと呼吸
  • 楽譜から何を読み取るべきか
  • 深読みと読み込みの違い

などを、実際の作品を用いながら考えていきます。

教材としては、

  • Johann Sebastian Bach
  • Ludwig van Beethoven
  • Frédéric Chopin
  • Robert Schumann
  • 現代作品

など、時代の異なる作品を取り上げ、

「作曲家が楽譜に書いたことを、どのように身体を通して音へ変えるのか」

をテーマに進めるといいかなと。

解釈論だけでも、テクニック論だけでもない、

音楽と身体を結びつけるための基礎講座

になればと思っています。

と、楽しい妄想しました。

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北欧ピアノの音風景を探る/ 北欧ピアノ作品集

― 楽譜・イメージ・身体でひもとく ―

公開レッスン&おしゃべりコンサート

講師:山根浩志

En valitse hiljaisuutta.

Hiljaisuus valitsee minut.

— Jean Sibelius

「私は沈黙を選んだのではない。沈黙が私を選んだ。」
            シベリウス

ミニコンサート ひろしの部屋🤭

ノルウェー

エドヴァルド・グリーグ

《抒情小曲集 第1集》Op.12 より

  • アリエッタ Op.12-1(レッスン曲)
  • ワルツ Op.12-2
  • 夜警の歌 Op.12-3
  • ノルウェーの旋律 Op.12-8

《抒情小曲集 第5集》Op.54 より

  • ノクターン Op.54-4
  • 鐘の音 Op.54-6

《抒情小曲集 第10集》Op.71 より

  • 余韻(Efterklang)Op.71-7

ハラルド・セーヴェルー

  • ロンド・アモローソ 🎹

フィンランド

ジャン・シベリウス

《樹の組曲》Op.75 より

  • もみの木Op.75-5 (レッスン曲)

《叙情的瞑想》Op.40 より

  • 小さいワルツ
  • 無言歌
  • ユモレスク
  • メヌエット

《13の小品》Op.76 より

  • エチュード Op.76-1🎹

《フィンランディア》Op.26

  • ピアノ独奏版🎹

オスカル・メリカント

  • ワルツ・レント

トイヴォ・クーラ

《3つの小品》Op.3

  • 1番 エレジア(悲歌)🎹
  • 2番結婚行進曲(レッスン曲)🎹
  • 3番 羊飼いのガヴォット🎹

エルッキ・メラルティン

  • 天高きところ Op.96-1
  • 二羽の白鳥 Op.92-2
  • 6つの小品Op.118(不思議な森)🎹
    秋景色
    不思議な森
    魔女
    呪文
    鬼火
    小人の踊り

イルマリ・ハンニカイネン

  • 初雪
  • ワルツ Op.17-1🎹

ハッリ・ヴオリ

  • 子どもの為の曲集「タイムマシン」🎹


クーラの《3つの小品》Op.3 を物語にしてみたら、、、

『鐘が遠ざかる頃に』

北の空に長い夕暮れが広がる頃、一人の青年は静かに過去を見つめていた。

それは 《エレジア》

胸の奥には、叶わなかった願い、失われた時間、そしてもう戻ることのない日々への想いが眠っている。

悲しみは深い。

けれど、それは嘆きではなく、静かに心の中で歌い続ける祈りのような悲しみだった。

青年はその想いを抱いたまま、暮れゆく空を見つめていた。

やがて遠くから鐘の音が聞こえてくる。

それは 《結婚行進曲》

人生の新しい門出を告げる鐘。

誰かが新しい道を歩き始める日。

その音は喜びに満ちているはずなのに、なぜか胸の奥を締めつける。

祝福したい。

幸せを願いたい。

それでも消せない寂しさがある。

青年は鐘の響きに耳を傾けながら、自分の中に残る想いと静かに向き合った。

そして気づく。

本当の祝福とは、手放すことなのだと。

鐘の音は少しずつ遠ざかっていく。

過去もまた、その音とともに遠ざかっていく。

やがて風が変わる。

遠くから軽やかな音楽が聞こえてくる。

それは 《小さなガヴォット》

人々は語り合い、笑い、踊っている。

世界は何も変わっていない。

それでも青年の心は、ほんの少しだけ変わっていた。

悲しみは消えていない。

忘れたわけでもない。

けれど、その悲しみと共に歩いていける気がした。

人生は続く。

小さな喜びは、いつもすぐそばにある。

青年は静かに顔を上げる。

北の空には淡い光が差し始めていた。

そして彼は歩き出す。

遠ざかる鐘の余韻を胸に抱きながら。

新しい明日へ向かって。


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変わる力を信じて

長年レッスンをしてきたことで、いろんな生徒を見てきたんだけど、その様子やレッスンを通して、いつも思っていることがあるんだ。それは、自分のやりたいことを強く感じること自体は大事だけど、それを形にするにはいろんなことを変えていく必要があるってこと。僕自身も何度も挫折や気づきを経験して、その中で自分を変えてきた。特にある時、僕の先生が、有名音楽大学のピアノ科の生徒のレッスンを見たことがあって、その演奏を聞いた時に、一向に変わる気配がなかったんだ。先生は「とりあえず、コンクールで1位を取ったんだったら、もういいんじゃない?」と言ったんだけど、僕が聞いたところでは、その生徒は変わろうとはしていたけれど、変化が表れなかった。やろうとしたけど、何が足りないのか、そのレッスンでは多分彼女自身には見つけられなかったんだと思う。だから結局変わらなかったんだけど、そういう足りない部分が僕にはよく見えて、それをちゃんと自分で認識することが大事だと思ったんだ。だから、焦らずに一歩ずつ自分の道を歩んで、他の人と比べずに自分らしく進んで、自分だけの表現を自分の力で実現していってほしい。僕もそのサポートをしていきたいと思っています。

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動画レッスンの受け方

① 公式LINEに登録

② LINEメッセージで

「動画レッスン希望」と お名前 を送信

③ 演奏動画(1本8分以内) を送る

・LINEで送信

・または YouTube限定公開URL を送信

④ 見てほしいポイントや質問があれば

メッセージで書いてください

⑤ コースを選択

A 10分以内返信 2,000円

B 14分以内返信 3,000円

C 16分30秒以内返信 3,500円

⑥ PayPay送金 または 銀行振込

⑦ 山根から動画でアドバイス返信

※返信は空き時間にお送りします。

お急ぎの場合はオンラインレッスンをおすすめします。

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音は、身体の自然な動きから生まれます。

演奏動画を送るだけ。

あなたの演奏を、より自然で美しい音楽へ。

演奏動画をもとに、

具体的な改善点と練習方法を動画でお伝えします。

レッスン内容

演奏動画を拝見し、

・音色

・フレージング

・リズム

・音楽表現

・効率のよい練習方法

・演奏の改善ポイント

などについて具体的に解説します。

また必要に応じて、

ターブマンアプローチの要素も参考にしながら

・無理のない身体の使い方

・合理的な動き

・弾きやすい奏法

などについてもアドバイスします。

このような方におすすめ

・レッスンに通う時間がなかなか取れない方

・遠方で直接レッスンを受けられない方

・演奏の改善ポイントを知りたい方

・効率のよい練習方法を知りたい方

・コンクールや発表会の曲を見てほしい方

・自分の演奏を客観的にチェックしたい方

セカンドレッスンとしてもご利用いただけます。

普段レッスンを受けている方が、別の視点から演奏を見直したい場合にもおすすめです。

レッスン料金

講師からの返信動画の時間によって料金が決まります。

以下のコースからお選びください。

Aコース

返信動画10分以内

2,000円

Bコース

返信動画14分以内

3,000円

Cコース

返信動画16分30秒以内

3,500円

※機能上、16分30秒以上の動画返信はできません。

演奏動画について

・演奏動画は1本8分以内でお送りください。

・8分の動画を2つに分割した場合は2本分として扱いますのでご注意ください。

動画は次の方法で送信できます。

・公式LINEのメッセージで動画送信

・YouTube 限定公開URL を送信

※YouTube限定公開を利用すると容量を気にせず送れます。

動画撮影のポイント

・顔出しは必要ありません。

・身体全体(腕や上半身の動き)が見えると、より具体的なアドバイスができます。

レッスンの流れ

① 公式LINEに登録

② 「動画レッスン希望」とお名前を送信

③ 演奏動画を送信

④ 山根から動画でアドバイス返信

「ここを見てほしい」

「この部分を習いたい」

など質問を書いていただくと、より具体的にアドバイスできます。

返信について

返信動画は空き時間にお送りいたします。

※すぐにアドバイスが必要な場合は

オンラインレッスンをおすすめします。

お支払い方法

・PayPay送金

・銀行振込

※送金先は個別にお知らせいたします。

🎶 気軽に動画レッスンをご利用ください。

皆さまの演奏を楽しみにお待ちしています。

楽しくピアノを弾きましょう。

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コンクールを審査して感じたこと 覚え書き

今回のコンクールは動画での審査だったのですが、それも踏まえて、僕が感じたことをお伝えします。個人的な感想です!基本的に、みなさん素敵な演奏でした!

まず、時代ごとのスタイルの違いがあまり理解できていない演奏が多かったように思います。

バロック、古典派、ロマン派、それぞれ「歌う」ことが大切なのは共通ですが、歌い方の様式やスタイルが全然違うのに、そこに気づいていないケースが目立ちました。特にバロックではレトリックを知ることが本当に重要です。でも、その意識がほとんど見られなかった。バロックは硬い縦割りの演奏ではなく、自由なメロディの動きが命なので、そこを大切にしてほしいと思います。

ペダルの使い方も、少し適当になっている演奏が多かったです。

ペダルは単なる残響を出すためのものではなく、綺麗に響いた美しい音をきちんと捕まえるためにあるものだと感じます。ショパンやシューマンなどのロマン派でペダルを多用しすぎると、メロディーラインがぼやけてしまいます。ベートーヴェンとショパンではペダルの役割がかなり違うのに、それを意識せずに同じように使っている演奏も目立ちました。

特に和音の濁りや和音の切り替えがうまくできていない演奏が多く、音のレイヤーやハーモニーの移り変わりが曖昧になってしまうことがありました。濁りへの耳があまり働いていなくて、響きを細かくコントロールする大事なところが、ほとんど使われていなかったり、使っていても効果が薄いように思えました。

バロックではペダルを使わないことが多いですが、必要に応じて使ってもいいと思います。古典派の場合は、楽譜に忠実に演奏することが音楽を本当に作り上げる上でとても大事で、それを基盤にすればペダルを使うことももちろん可能です。こうしたペダルの扱いが雑だと、結果としてリズムが崩れたり、拍がぼんやりしたり、全体の形がまとまらなくなってしまうことがよくありました。

拍感が弱くてリズムが浮いてしまう演奏も多かったです。流れるように歌うことばかりに気を取られると、拍が完全に消えてしまいます。音楽には大きく「歌」と「踊り(舞曲)」の二つの流れがあるので、歌うことばかりに集中するよりも、その下にあるリズムの骨格をちゃんと意識してほしいです。リズムの方が大事な場面では、もう少し明確にリズムを際立たせると、演奏がぐっと生きてきます。

音の面では、大きく鳴らそうとして音が割れてしまうと、すべてがアクセントのように聞こえ、響きが足りなくてレガートがつながりません。弱い音は芯がなくて発音がぼんやりしがちです。難しい曲になると指先だけで弾いてしまい、重さが伝わらないことも多かったです。スタッカートの響きがなくて、跳ねるべきところで沈んでしまう演奏もありました。スタッカートは指で切るだけじゃなく、響いた音を区切るタイミングやリズム、テンポによって長さが変わるもの。音の長さや響きの余韻を、音楽の流れの中で自然にコントロールできていない演奏が目立ちました。

メロディーが途切れ途切れで、歌として一本の線になっていない演奏も多かったです。体や腕の余計な動きが多すぎると、リズムが崩れてしまうこともありました。

「勝つための正解」を追いすぎて、みんな似たような演奏になってしまい、個性が薄れて新鮮味がなくなっているように感じました。重さを使った弾き方とハイフィンガーでは響きの質が大きく違います。ハイフィンガーはノンレガートが硬くなり、響きが失われやすいです。「大きく聞こえる音」と「遠くまで響く音」は全く別のものなのに、そこへの意識が薄いように思えました。ハイフィンガーで弾く方がほぼほとんどで、重さを使いこなせている方は本当に少ないです。

ルバートやアゴーギクの正しい扱いが、なかなか演奏に現れてきていません。特に印象派のルバートはロマン派とは違うものなので、さらに研究が必要かなと思いました。

音楽的な解釈は教えやすいのですが、それを体や耳で本当に実現する奏法や方法を知っている方は少なく、しっかり教わる機会も少ないように思います。それでも、音楽的な才能を持っている方は本当にたくさんいらっしゃいます。

そして、動画審査だったこともあって、もう一つ気になったことがあります。

ホールで弾くような大きさや表現を動画に入れると、どうしてもうるさく聞こえてしまい、細かいニュアンスが伝わりにくくなります。ニュアンスがあまり感じられない演奏も多かったように思います。動画の撮り方や音量の調整も工夫すると、もっと本当の音楽が伝わりやすくなるはずです。

これが僕が審査していて感じたことです。今後の何かの改善のきっかけになればいいかなー!

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表現と響きのあいだに

 演奏しているときの豊かな表情や動きって、その人がどれだけ音楽を感じているかを映す鏡みたいなものだと思うんです。

ただ、時々、その表現が音の流れからちょっとだけ離れて見えることがあります。

そういうときは、つい音よりも動きのほうが先に目に入ってしまって、ちょっと違和感を覚えることもあるのは事実、、。

でも、表情と音がぴったり合っているときは、決してやりすぎには見えません。どんなにオーバーな表情でもね。

そのときには、音楽が自然に息づいていて、心の中で生まれた感情がそのまま顔に表れているだけなんですよね。

だから、表現が音から少し離れて見えるのは、単に見た目の問題じゃなくて、

音の流れをどれだけ感じ取れるかという、聴く人の感性の問題なんだと思います。

そして、それを感じられるのは、演奏をちゃんと聴いて、その本質を理解している人だからでしょう。

音を超えた何かを感じ取れる耳と心がある人ほど、

ほんのわずかなズレにも敏感になってしまうんでしょうね。

でも、それは批判じゃなくて、むしろ音楽を深く愛している証拠だと思います。

そして最後には、音と表情がまた重なり合ったとき、そこには言葉にできない静かな真実があるんですよね。