――深く読むことから生まれる自由な表現、そして生きる力
山口市立島地小学校での音劇コンサートを終えて

クリエイティブドラマとは、演劇的な手法を用いて、一人ひとりの想像力や創造性、表現する力を引き出していく教育方法です。
最初から完成された脚本やストーリーを用意し、それを覚えて演じてもらうのではありません。参加する人から出てくる言葉、声、音、リズム、イメージ、アイデアなどを出発点として、それらを互いに受け取りながら、新しい表現や物語をつくっていきます。
この考え方を演劇教育の中で発展させた人物の一人が、イギリスの演劇教育者ブライアン・ウェイ(Brian Way)です。
ブライアン・ウェイのクリエイティブドラマでは、演劇は単に「上手に演技するための訓練」ではありません。演劇的な活動を通して、自分で考え、想像し、人の表現を聴き、自分の考えを表現し、そして他者と一緒に一つのものを創造していくことに大きな意味があります。
完成された作品を正確に再現することだけではなく、表現が生まれていく過程そのものを大切にする教育方法です。
このクリエイティブドラマの考え方と深く関わるのが、「Yes And」です。
誰かが出したアイデアに対して、「違う」「それはできない」と終わらせるのではなく、まず「Yes」と受け取ります。そして「And」として、そこに自分のアイデアを加えていきます。
「そうなんですね。そして、こうしてみましょう。」
そうやって、一人の表現を次の人が受け取り、さらに別の表現を加えていきます。
一つの言葉から別の言葉が生まれ、一つの音から別の音が生まれ、一つのアイデアから新しい場面が生まれていきます。
大切なのは、最初から全員が同じ答えを持つことではありません。
相手の表現を受け取り、そこに自分の表現を重ねることで、一人ではつくれなかったものを、みんなでつくっていくことです。
今回の音劇コンサートでは、このクリエイティブドラマの考え方を、実際の活動として展開しました。
最初から完成されたストーリーがあり、それを子どもたちが演じるというものではありません。
子どもたちから出てくる言葉やアイデアをもとに、演劇家と音楽家がそれぞれの表現を加えながら、一つの世界をつくっていきました。
まず、子どもたちからさまざまな言葉や音、声、リズムなどを出してもらいました。
ここで大切なのは、正解を当てることではありません。
「こんな言葉を使ってみたい」
「こんな音がする」
「こんなリズムにしたい」
という、それぞれの発想を出していくことです。
言葉は録音するためのものではなく、さまざまなアイデアをもらうための出発点として生まれました。
そして、子どもたちと一緒につくったリズムを、ある方法で組み合わせて一つのリズムとしてつくり、それを録音しました。
その録音したリズムをみんなで流しながら、そこに私がピアノで即興的に音楽を加えていきました。
子どもたちがつくったリズムを聴き、そのリズムから感じるものを受け取り、そこからピアノの音を生み出していきます。
つまり、
子どもたちの表現を聴く。
それを受け取る。
そこから自分の音楽をつくる。
そして、その音楽がまた全体の表現に加わっていく。
という循環が生まれました。
今回の音劇コンサートで、特に重要なのが演劇家の役割です。
演劇家が最初から完成されたストーリーを持ってきて、それを子どもたちに演じさせたわけではありません。
子どもたちから出てきた言葉やアイデアを受け取り、それらを一つひとつつないでいきます。
一つの言葉が出ます。
その言葉から、また別の言葉が出ます。
そこに別の子どものアイデアが加わります。
さらに声が加わり、間が生まれ、動きが生まれます。
そして、その一つひとつを演劇家がつないでいきます。
最初には決まっていなかったストーリーが、少しずつ形になっていきます。
一つの場面ができ、その場面と次の場面がつながり、さらに大きな流れになっていきます。
そして最終的には、最初には誰も完全には予想していなかった、一つの大きな、そして感動的な物語が生まれていきます。
演劇家がしているのは、単に身体を動かして表現することではありません。
中心にあるのは、言葉です。
言葉を受け取り、言葉をつなぎ、言葉を紡いでいく。
その言葉に声が加わり、そこに動きが生まれ、演技として一つの場面になっていきます。
だからこそ、今回の活動では「言葉から物語をつくる」ということが非常に重要でした。
ここで、演劇家が台本を読むことについて考えることができます。
台本には台詞が書かれています。
しかし、台本に書かれている台詞だけが、その場面のすべてではありません。
「なぜ、この人物はこの言葉を言うのか。」
「この言葉を言う前に、何があったのか。」
「この言葉の後に何が起こるのか。」
「どんな気持ちで言うのか。」
「どんな声で言うのか。」
「どこで間を取るのか。」
「言葉と言葉の間には何があるのか。」
そうしたものは、台本にすべて書かれているわけではありません。
だから演劇家は、文字だけを読むのではなく、台詞の奥にあるものを読み解きます。
そして、それを声や間、動き、演技として表現します。
今回の音劇コンサートでは、完成された台本を深く読むという作業ではなく、むしろ台本になる前の状態から、言葉を受け取り、そこに意味を見つけ、言葉をつないで物語をつくるという活動を行いました。
だからこそ、台本を深く読むことにつながります。
一つの言葉を受け取ったとき、その言葉だけを見るのではなく、その言葉の前後にあるもの、その言葉が生み出す世界まで考える。
今回の活動では、それを実際に体験したのです。
そして、ここからが音楽家にとって非常に重要なところです。
今回の音劇コンサートで行ったことは、楽譜を深く読むことにも直接つながっています。
なぜなら、今回の活動では「与えられたものを、そのまま再現する」のではなく、そこにあるものから、その奥にあるものを読み取り、表現にしていったからです。
子どもたちがつくったリズムを考えてみます。
そこには、単なる音の並びだけがあるわけではありません。
そのリズムを聴いて、
「どんな感じがするのか」
「どこへ向かっているのか」
「どんな音を加えたら、この表現が広がるのか」
「このリズムには、どんな世界があるのか」
と考えることができます。
私はそのリズムを聴き、そこから感じ取ったものをピアノで即興的に表現しました。
つまり、聞こえている音の奥にあるものを読み取り、それを自分の音楽として返したわけです。
これは、クラシック音楽で楽譜を読むときにも同じです。
楽譜には音符があります。
リズムがあります。
強弱があります。
アーティキュレーションがあります。
しかし、それらを正しく弾くだけで、作曲家の音楽をすべて理解したことにはなりません。
一つの音符を見たときにも、
「なぜここにこの音があるのか」
「このフレーズはどこへ向かっているのか」
「この和声の変化にはどんな意味があるのか」
「この音と次の音は、どんな関係にあるのか」
「この音楽の中で、今何が起きているのか」
と考える必要があります。
つまり、楽譜に書かれているものを入口として、楽譜に書かれていないものを読み解くのです。
ここに、今回の音劇コンサートとクラシック音楽との大きなつながりがあります。
台本には台詞が書かれています。
楽譜には音符が書かれています。
しかし、台本にも楽譜にも、すべてが書かれているわけではありません。
むしろ、書かれていないところにこそ、その表現の本質が隠されていることがあります。
台詞と台詞の間。
音符と音符の間。
そこにある沈黙。
そこにある呼吸。
そこにある感情。
そこにある方向性。
そこにある物語。
そういうものを読み解く必要があります。
今回の音劇コンサートでは、子どもたちの言葉やリズムという「小さな表現」を出発点にして、その奥にあるものを想像し、つないで、物語や音楽をつくりました。
これは、クラシック音楽家が楽譜を読むときにも必要な姿勢です。
楽譜を「弾く」のではなく、まず「読む」。
そして、音符の意味を深く読み、音符の奥にある音楽を見つけ、それを自分の演奏として表現する。
今回の音劇コンサートで経験したことは、その感覚につながっています。
ここでいう「自由」とは、何でも好き勝手にするという意味ではありません。
自由な表現には、その前に、聴くこと、知ること、感じること、深く読むことがあります。
相手の表現を受け取る。
自分とは違う考えを受け止める。
そこから自分が何を感じたのかを考える。
そして、自分はどう表現するのかを選ぶ。
そこに自由があります。
深く読むことは、自由を奪うことではありません。
むしろ、深く読むことによって、表現できる世界が広がります。
楽譜を深く読めば読むほど、自分の演奏で表現できることが増えます。
台本を深く読めば読むほど、一つの台詞の中にある世界を表現できるようになります。
そして、相手の表現を深く受け取れば受け取るほど、それに対して自分が返せる表現も豊かになります。
深く読むことと、自由に表現することは反対ではありません。
深く読むからこそ、本当の意味で自由に表現できるのです。
私は演劇家ではありませんが、演劇家が行っているこの方法には、音楽家にも通じるものがあります。
それは、表現の奥にあるものを読み取り、それを自分自身の表現として返すことです。
今回、子どもたちがつくったリズムを私が聴き、そこからピアノの即興を生み出しました。
子どもたちの表現を受け取り、私の表現を返しました。
一方、演劇家は、子どもたちから出てきた言葉を受け取り、それをつないで物語をつくりました。
そこには、まさに「Yes And」の考え方があります。
一人の表現で終わらない。
誰かが受け取る。
そこに何かを加える。
そして、それをまた別の人が受け取る。
その繰り返しによって、一人ではつくれなかったものが生まれます。
音楽も同じです。
作曲家が残した楽譜を演奏者が受け取り、そこに書かれているものを深く読み、その奥にある音楽を読み解き、自分自身の演奏として聴き手に返します。
だからクラシック音楽の演奏も、単なる「音符の再現」ではありません。
そして、この考え方は音楽や演劇だけにとどまりません。
人間の生活そのものにもつながっています。
人生には、すべてが台本として書かれているわけではありません。
何を言うのか。
どう行動するのか。
相手の言葉をどう受け取るのか。
自分は何を選ぶのか。
その多くは、自分自身で考えなければなりません。
だからこそ、クリエイティブドラマで経験する、
自分のアイデアを出すこと。
人のアイデアを聴くこと。
相手の表現を受け取ること。
そこに自分の表現を加えること。
一緒に一つのものをつくること。
には大きな意味があります。
これは芸術のためだけの能力ではありません。
人と関わりながら生きていくための力でもあります。
自分で考える力。
人の話を聴く力。
想像する力。
相手の表現を受け取る力。
自分の考えを言葉や音で表現する力。
そして、正解が決まっていないところでも、自分で考え、選び、行動する力。
そうした力が、やがて生きる力につながっていきます。
今回の音劇コンサートは、単に子どもたちが音楽や演劇を楽しむためだけの活動ではありませんでした。
子どもたちが言葉を出し、声を出し、リズムをつくり、アイデアを出す。
それを演劇家が受け取り、つないで物語にする。
それを音楽家が受け取り、音楽にする。
そして、またその音楽や物語をみんなが受け取る。
この循環によって、一人ではつくれなかった一つの世界が生まれました。
そこには、最初から決められた答えはありませんでした。
だからこそ、自分で考える必要がありました。
人の表現を聴く必要がありました。
想像する必要がありました。
そして、自分自身の言葉や音で表現する必要がありました。
この経験こそが、クリエイティブドラマの大切なところです。
そして、それは音楽家が楽譜を深く読むことにもつながります。
書かれているものを見るだけではなく、書かれていないものを読む。
台本に書かれていないもの。
楽譜に書かれていないもの。
そして、人の言葉に直接は表れていないもの。
そこに何があるのかを感じ、想像し、考え、読み解いていく。
その上で、自分自身の言葉や声や音楽として表現する。
それが、芸術における自由な表現につながります。
そして私は、このような活動をこれからも続けていきたいと思います。
音楽を通して、子どもたちがただ「上手に弾く」だけではなく、聴き、感じ、想像し、深く読み、自分自身の表現を持つこと。
人の表現を受け取り、そこからまた自分の表現を生み出すこと。
そして、自分の中にあるものを、自分の言葉や音で表現できること。
それは、音楽や演劇という芸術の世界だけではなく、人と人との関わり、そして一人ひとりの人生そのものにつながっていきます。
聴く。
感じる。
想像する。
深く読む。
受け取る。
考える。
そして、自分自身の言葉と音で表現する。
その積み重ねが、自分自身で考え、自分自身で選び、自分自身の人生を歩んでいく力になります。
そして、その先にあるものが、生きる力なのです。