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コンクールを審査して感じたこと 覚え書き

今回のコンクールは動画での審査だったのですが、それも踏まえて、僕が感じたことをお伝えします。個人的な感想です!基本的に、みなさん素敵な演奏でした!

まず、時代ごとのスタイルの違いがあまり理解できていない演奏が多かったように思います。

バロック、古典派、ロマン派、それぞれ「歌う」ことが大切なのは共通ですが、歌い方の様式やスタイルが全然違うのに、そこに気づいていないケースが目立ちました。特にバロックではレトリックを知ることが本当に重要です。でも、その意識がほとんど見られなかった。バロックは硬い縦割りの演奏ではなく、自由なメロディの動きが命なので、そこを大切にしてほしいと思います。

ペダルの使い方も、少し適当になっている演奏が多かったです。

ペダルは単なる残響を出すためのものではなく、綺麗に響いた美しい音をきちんと捕まえるためにあるものだと感じます。ショパンやシューマンなどのロマン派でペダルを多用しすぎると、メロディーラインがぼやけてしまいます。ベートーヴェンとショパンではペダルの役割がかなり違うのに、それを意識せずに同じように使っている演奏も目立ちました。

特に和音の濁りや和音の切り替えがうまくできていない演奏が多く、音のレイヤーやハーモニーの移り変わりが曖昧になってしまうことがありました。濁りへの耳があまり働いていなくて、響きを細かくコントロールする大事なところが、ほとんど使われていなかったり、使っていても効果が薄いように思えました。

バロックではペダルを使わないことが多いですが、必要に応じて使ってもいいと思います。古典派の場合は、楽譜に忠実に演奏することが音楽を本当に作り上げる上でとても大事で、それを基盤にすればペダルを使うことももちろん可能です。こうしたペダルの扱いが雑だと、結果としてリズムが崩れたり、拍がぼんやりしたり、全体の形がまとまらなくなってしまうことがよくありました。

拍感が弱くてリズムが浮いてしまう演奏も多かったです。流れるように歌うことばかりに気を取られると、拍が完全に消えてしまいます。音楽には大きく「歌」と「踊り(舞曲)」の二つの流れがあるので、歌うことばかりに集中するよりも、その下にあるリズムの骨格をちゃんと意識してほしいです。リズムの方が大事な場面では、もう少し明確にリズムを際立たせると、演奏がぐっと生きてきます。

音の面では、大きく鳴らそうとして音が割れてしまうと、すべてがアクセントのように聞こえ、響きが足りなくてレガートがつながりません。弱い音は芯がなくて発音がぼんやりしがちです。難しい曲になると指先だけで弾いてしまい、重さが伝わらないことも多かったです。スタッカートの響きがなくて、跳ねるべきところで沈んでしまう演奏もありました。スタッカートは指で切るだけじゃなく、響いた音を区切るタイミングやリズム、テンポによって長さが変わるもの。音の長さや響きの余韻を、音楽の流れの中で自然にコントロールできていない演奏が目立ちました。

メロディーが途切れ途切れで、歌として一本の線になっていない演奏も多かったです。体や腕の余計な動きが多すぎると、リズムが崩れてしまうこともありました。

「勝つための正解」を追いすぎて、みんな似たような演奏になってしまい、個性が薄れて新鮮味がなくなっているように感じました。重さを使った弾き方とハイフィンガーでは響きの質が大きく違います。ハイフィンガーはノンレガートが硬くなり、響きが失われやすいです。「大きく聞こえる音」と「遠くまで響く音」は全く別のものなのに、そこへの意識が薄いように思えました。ハイフィンガーで弾く方がほぼほとんどで、重さを使いこなせている方は本当に少ないです。

ルバートやアゴーギクの正しい扱いが、なかなか演奏に現れてきていません。特に印象派のルバートはロマン派とは違うものなので、さらに研究が必要かなと思いました。

音楽的な解釈は教えやすいのですが、それを体や耳で本当に実現する奏法や方法を知っている方は少なく、しっかり教わる機会も少ないように思います。それでも、音楽的な才能を持っている方は本当にたくさんいらっしゃいます。

そして、動画審査だったこともあって、もう一つ気になったことがあります。

ホールで弾くような大きさや表現を動画に入れると、どうしてもうるさく聞こえてしまい、細かいニュアンスが伝わりにくくなります。ニュアンスがあまり感じられない演奏も多かったように思います。動画の撮り方や音量の調整も工夫すると、もっと本当の音楽が伝わりやすくなるはずです。

これが僕が審査していて感じたことです。今後の何かの改善のきっかけになればいいかなー!

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表現と響きのあいだに

 演奏しているときの豊かな表情や動きって、その人がどれだけ音楽を感じているかを映す鏡みたいなものだと思うんです。

ただ、時々、その表現が音の流れからちょっとだけ離れて見えることがあります。

そういうときは、つい音よりも動きのほうが先に目に入ってしまって、ちょっと違和感を覚えることもあるのは事実、、。

でも、表情と音がぴったり合っているときは、決してやりすぎには見えません。どんなにオーバーな表情でもね。

そのときには、音楽が自然に息づいていて、心の中で生まれた感情がそのまま顔に表れているだけなんですよね。

だから、表現が音から少し離れて見えるのは、単に見た目の問題じゃなくて、

音の流れをどれだけ感じ取れるかという、聴く人の感性の問題なんだと思います。

そして、それを感じられるのは、演奏をちゃんと聴いて、その本質を理解している人だからでしょう。

音を超えた何かを感じ取れる耳と心がある人ほど、

ほんのわずかなズレにも敏感になってしまうんでしょうね。

でも、それは批判じゃなくて、むしろ音楽を深く愛している証拠だと思います。

そして最後には、音と表情がまた重なり合ったとき、そこには言葉にできない静かな真実があるんですよね。

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音楽は光になる

音楽の舞台の裏には、見えない想いが満ちている。

国際コンクールに出るというのは、

やっぱり「勝ちたい」という思いがあるから。コンクールはそれが目的でもある。

ピアニストたちは、自分の音楽に自信を持っているだけでなく、

「認められたい」という気持ちもきっと強い。

そのチャンスをつかみ、

これからの自分の演奏の場を広げたい――

そんな思いがあるのは、ごく自然なことだ。

そんな気持ちがないピアニストは、

大変な国際コンクールにわざわざ挑戦したいとは思わないだろう。

今や、コンクールや、ましてや難しい国際ピアノコンクールとは無縁な、

平凡なローカルピアノ弾きの僕には、

想像もつかない世界だ。

それに対して、

「出るだけでもすごいよ」

「予選で落ちても、入賞できなくても、あなたは素晴らしい」

「コンクールなんて出なくてもいいじゃない!十分あなたは上手いんだから。」

――そう言われたとき、本人は

どんな気持ちになるのだろう。

僕だったら、正直あまりうれしくない。

優しい言葉なのはわかっていても、

きっと少し苦しくなるだろうな、、。

自分が必死に挑んでいるその舞台の意味を、簡単に「素晴らしい」で片づけられるような気がするからだ。

子どものコンクールとは違う。

そこには、人生がかかっている。

一つの演奏が、

自分のこれまでの全てを背負い、

未来への道を少しずつ切り開く。

その緊張と覚悟は、同じ舞台に立った人にしか分からないだろう。

僕みたいな凡人ピアノ弾きには、きっと分からないことなのかもしれない。

でも、それでも、

誰かの音を心から信じて聴ける人がいる限り、音楽は、きっと救われていく。

そして、信じられるその光は、やがて僕たち自身の心も温かく照らしてくれる。

小さくても確かな希望となり、日々の疲れや迷いをやさしく包み込む――

音楽は、そんな光になって欲しい。

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音楽の道、選ぶということ 

コンクールは、ピアニストにとって自分の力を試す舞台のひとつです。

同じ条件の中で演奏し、審査を受け、結果として順位がつく。

ときに厳しい世界ですが、そこには多くの学びや出会いがあります。

けれども、音楽というものは本来、人と比べるためのものではありません。

「うまい」「すごい」といった評価では語りきれない深さがあります。

審査する人や時代の流れによって、結果が変わることもあります。

だから、コンクールの結果がすべてではないのです。

それでも、コンクールに挑戦する人たちは皆、強い覚悟を持っています。

人前で演奏し、評価され、ときには厳しい言葉を受けることもある。

それでも舞台に立つのは、自分の音楽を信じているからです。

そんな姿に、私たちはただ敬意を持って見つめるしかありません。

コンクールに出る以上、誰もが勝ちたいと願っています。

それは、自分の音楽を多くの人に知ってもらい、

ピアニストとしての道を切り開くための大切な一歩です。

しかし、コンクールに出ない素晴らしいピアニストもたくさんいます。

受賞歴がなくても、世界で愛されている人たちがいます。

彼らは競争ではなく、自分のペースで音楽を育ててきた人たちです。

その生き方もまた、とても美しく、尊いものです。

コンクールに出るか出ないか――どちらが正しいということはありません。

大切なのは、自分の信じる音をどう育てていくか、ということ。

音楽の世界には、たくさんの道があり、どの道にも光があります。

そして、聴衆たちがすべての音楽家を支え、育てる社会になればいいなと、心から思います。

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ヤブウォンスキ氏のリサイタルを聴いて

ヤブウォンスキ氏のピアノリサイタル、そして前日のマスタークラス。

この二日間を通して、私は心の底から「行って良かった」と思えた。

彼の演奏の根底には、徹底した「無駄のなさ」がある。

弾きすぎない。けれども、その抑制の中にすべてが込められている。

あの音量で、十分に表現は伝わってくる。

楽譜に書かれていないことを加えることはなく、かといって無味乾燥になるわけでもない。

テンポは崩れず、ペダリングは濁らず、和声の移ろいが澄んだ光のように響いていく。

旋律は旋律のままで、決して和声に埋もれない。

アゴーギクやルバートは「適度に」、つまり音楽が自然に呼吸する範囲に留められる。

特に心に残ったのはスタカートの扱いだ。

書かれていないアクセントは決して付けられず、スタカートは正しい解釈で奏でられた。

その一音一音の軽やかさと確かさは、重力奏法を自在に操れるからこそ可能なのだろう。

腕や指の力で叩きつけるのではなく、自然な重力をコントロールし、響きを保ちながら切る。

あのスタカートを耳にして、「これこそ正解だ」と思わずにいられなかった。

マズルカには涙を誘われた。

言葉では到底言い表せない、魂に届く響きがそこにあった。

そしてソナタ第3番。

あの清潔で繊細、しかも美しい演奏を、これまで耳にしたことがあっただろうか。

ペダリングは神がかり的で、すべてがドラマティックに展開していった。

スッキリとしていながら壮大で、矛盾のない音楽の流れがそこにあった。

マスタークラスでの彼の指導、そして最後のインタビューから、

「日本人が弾くショパン」をどう見ているのか、何となく想像できた気がする。

日本のショパン解釈は、これからどう変わっていくのだろうか。

ヤブウォンスキ氏の存在は、その問いを私の心に投げかけている。

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聴く力がすべてを決めた

昔はSNSがなかったので、情報を得るには自分で足を運び、自分の身体で体験し、実践するしかありませんでした。お金も時間もかかる時代で、海外まで行くこともありました。

だから、今ネットで見かける情報の多くは、実際に自分で試して経験済みです。

今、自分の中に残っている学びや方法には、例えば以下があります:

•ト◯ティ◯メ◯ード

•重◯奏◯

  •   武◯家の言葉(沖◯空手)

 ・ ク◯エイ◯ィブド◯マ

•ロ◯アピア◯ズム

•◯ーブ◯ンア◯ロー◯

•◯ィー◯ラー教本

•シャ◯ドー◯教本

…など、まだまだあります。

スピリチュアル系、目に見えない系のものも、実はすごく大切な要素もあります。

その過程で気づいたのは、正しい脱力法や指のトレーニング、ロシアンテクニック、丹田の使い方、倍音を響かせる方法…といった「テクニック系講座やセミナー」の多くは、正直なところほぼ眉唾物だったかもしれません😅

僕の最終的な決め手になったのは、「その講師、ピアニスト自身」が理想的な音を出し、素敵な音楽を奏で、合理的に身体を使えているかどうかです。

あの頃僕自身、学習者に最も欠けているのは、それを判断する「耳」と「知識」だと感じていました。

ただ聴くだけではなく、何を聴き取るべきかを理解すること。言語や周波数の影響で、聞こえているものが全てではないことを理解すること。

ピアニストが聴いている音や空間の感覚は、一般の聴衆とは明らかに異なります。

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静寂の余韻、聴く者と響く者

先日の「坂本龍一の見たもの」コンサートは、素晴らしい秋吉台国際芸術村で、素敵なスタッフと聴衆に恵まれての開催だった。

最初の一音を空間に送り出した瞬間、その場所に自分ひとりしか存在しないような静寂が広がった。

演奏はもちろん、練習を重ね、あらゆることを考え尽くして臨む。しかし、音楽家としての楽しみは、ただ再現することではなく、今その瞬間、その空間でどのように響きを彩るかにあるのだ。

その自由な感覚は、音楽家というより、むしろ芸術家としての喜びに近い。予期せぬ方向に音が流れたり、ミラクルな響きが生まれたりすることもある。それを聴衆と分かち合い、心でやり取りしながら伝え、受け取る。その瞬間こそ、ピアニストにとって最高の喜びである。

秋吉台国際芸術村でのコンサートは、まさにそんな幸福な時間だった。

これまで多くのコンサートを経験してきたが、聴衆には二種類がいるように思う。

ひとつは、音楽そのものを聴きに来た人。

もうひとつは、自分を聴きに来た人である。

後者の耳は実に便利だ。演奏家がどれだけ心を込めても、

「自分の価値観」にそぐわなければ即クレームが飛ぶ。

「ここはもっと速く弾くべきだ」

「このフレーズ、なんであんな風に?」

なるほど、どうやら世界はチケット代で支配できるらしい。

こういう聴衆の座席は、自然と審査員席に見える。

半分は評論家気取り、もう半分はスマホをいじりながら「これは違う」と呟く。

演奏家はまるでサーカスの芸人のようで、拍手のタイミングを間違えれば大ブーイング、解釈が独自なら即ジャッジされる。

しかし、本当に音楽を受け止める耳を持つ人は、いつも隅っこの席で静かに聴いている。

その小さな共鳴のために弾くほうが、百人の「評論家ごっこ」に囲まれるより、ずっと幸福だ。

聴衆は選べなくても、演奏家の手から生まれる音は、確かに、静かに誰かの心に響き、余韻として空気の中に漂っていく。

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僕が思うピアニスト像

一般的にピアニストというと、速い指、大きな音、難しい曲を軽々と弾きこなし、長い曲を暗譜し、それなりの表現ができるというイメージがあるとおもいます。

でも、僕にとってそういった技術は、ピアニストとしての条件のほんの一部。んー10%未満、、

ただ「感心する音楽」ではなく、「感動する音楽」でありたい。

正直、時間をかけて練習すればアマチュアさんでもできることです。

僕が本当に大切にしたいのは、美しい音。

そして、その音が自然に、身体に負担なく生まれること。

つまり、音に魂が宿っているかどうか。

ピアニストには、見えないものを信じる力、聞こえないものを聞く力がとても必要だと思います。

音楽は形のないもの。数字や音符だけでは表せない感覚や空気、間合いを感じ取る繊細さが求められます。そして見えないもの 氣 のようなものも。

アンサンブルには、一瞬で自分の役割を理解して相手を立てる思いやりと想像力、

そして自分と違うものを受け入れる力が必要です。

ただ自分の音を出すだけではなく、相手の音に耳を澄まし、支え合いながら一つの音楽を作り上げる。

そうした力を持つピアニストこそ、本当にレベルが高いと思います。

ピアノは一生付き合うもの。

若い頃に「これが正しい」と思っていたことも、年を重ねるごとにどんどん変わり、時には全く違う景色が見えてくる。

それがまた楽しい。ピアノとの長い旅路の醍醐味です。

人としての深さも欠かせません。

どんなに正確に弾けても、心がこもっていなければ、ただの音に過ぎません。

でも、心がある音は、多少のミスを超えて、聴く人の心を動かします。

たまに考えることがあります。

「どうしてこの人はピアノを弾いているんだろう?」

「音楽が本当に好きなのかな?」

そんな疑問が浮かぶ演奏に出会うと、少し寂しくなります。

僕が思うピアニストとは、

ただ技術を見せる人ではなく、音楽を心から愛し、音に魂を宿す人。

その音が、誰かの心に届くことを信じて、誠実に向き合っている人です。

音に魂が宿る――それが、感動を生み、心を動かす音楽になるのだと、僕は信じています。

そして何より、とりあえず楽しくピアノを弾きましょう。

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ターブマンアプローチの技術的、音楽的な効果

ターブマン・アプローチ(Taubman Approach)は、単に「痛みが出ない」や「疲れない」だけでなく、技術的・音楽的に極めて深い効果をもたらします。以下に主な利点を、技術面と音楽表現の面に分けて整理します。

🎹 技術的な効果

1. 精度の向上

無駄な動きが減るため、音の粒立ちが明確になり、速いパッセージでもブレなく演奏可能。 タッチの一貫性が増すことで、コントロールしやすくなる。

2. 難所の攻略

ジャンプ、アルペジオ、レガート、トリル、オクターブなど、**多様な技術に特化した運動原理(リープ、グルーピング、回転など)**があり、どんなパッセージも「合理的に」弾けるようになる。

3. スピードと軽やかさ

身体全体を使った効率的な動きにより、速く、かつ軽やかに演奏できる。鍵盤に無駄に「ぶつけない」ため、スピード感がある。

4. 音色の幅

多様な動き(ダブル・ローテーションやリリースの技術)により、ニュアンスの違いが細やかに出せる。 強い音でも「硬くない」音が出せる。

🎼 音楽的な効果

1. 表現の自由度が増す

技術的に「戦う」必要がなくなるため、音楽の構造や感情に集中できる。 「弾くこと」ではなく「表現すること」が主になる。

2. フレーズの自然な流れ

フレージングに合わせた動き(グルーピング)によって、音楽の語り口が自然になる。いわゆる「歌うように弾く」が物理的に可能になる。

3. 緊張感のない集中

身体の力が抜けている状態で集中できるため、舞台上での緊張や恐怖感が軽減される。 結果として演奏全体が「自然」で「説得力ある」ものになる。

補足:教育的効果

ターブマンは「再現性のある技術教育」が可能。つまり「感覚」ではなく、「原理に基づいて伝えられる」ため、教える側・学ぶ側の両方にとって非常に明確。 これにより、生徒の成長が早く、怪我もしにくい。

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2024クリスマス発表会🎄&コンサート&パーティ