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ピアノ

短編小説 「スオミ 静寂を彩る音の軌跡」

 なんて温かい、、なんて心地よい、ずっとこの場所に居たい。

 伸哉はそう思った。

 拍手の仕方が違うのか?いや、ちゃんと右左の手を合わせて叩くやつだ。空気か?叩く場所が違うのか?何かがいつものものと違うと感じた。

 笑顔ってほんとはこんなんだったな。忘れてた。あの瞳、なんだろう。完璧に自分を受け入れてくれて、さらに愛を感じる。

「フィンランディア」を弾き終えた時、伸哉の目頭が熱くなっていた。いや特に素晴らしく弾けた訳でもない。

フィンランド人しか居ない空間で、この作品を弾くことがどれくらい緊張感あるか想像はしてた。数年前にヘルシンキでも弾いたしな。

でも 聴衆が立ち上がり拍手をしてくれる間、伸哉の鼓動はずっと早く動いたままだった。

 味わった事のない、感覚、、、

 シベリウスがこの空間に生活し、このグランドピアノを弾いていた。そして、ここで沢山の美しいメロディがうまれ、それを素敵なハーモニーが彩った。

静かな森に佇むこの場所で。

 これまでどれだけの音楽家がそれらを受け継いで、この聖なる地「アイノラ Ainola」で演奏してきたのか。

伸哉はその長い時を経て、繋がっているみんなの想いを、今浴びている拍手と瞳の中に感じとることができた。

      

 その5日前。

伸哉はハラティという小さな町にいた。

 首都ヘルシンキから北に130キロ。内陸にありながらも、湖沿いの港町で都会と田舎の雰囲気が混ざり合った自然沢山!のコンパクトな町。伸哉は意外にこの何もなさと、静かにのんびりとした空気が気に入っていた。

 丁度、この町での大きなフェスティバル「シベリウスフェスティバル2024」が終わったばかり。あと5日くらい早くラハティにいたら良かった、、とかあまり思わない。それが伸哉。

 とはいいつつ、朝起きて、ラハティ市が招待してくれたホテルの朝飯が美味すぎて食べすぎ、これは運動しないと!っと、ふらっと散歩にでると、足はそのフェスティバルの会場「シベリウス タロ(ホール)」の方へ向かっていた。 多分もう人も居ないだろう。それでも良かった。

 港の傍にそれはある。ラハティ交響楽団のホームでもあり、ラハティ交響楽団のサウンドがかなり好みなんだが、そんなことも頭に過らず、じっくりシベリウスタロを見る訳でもなかった。とりあえずタロの前まで行き、写真を撮り、そのまま港にあるバーでビールが飲みたい衝動に駆られ、歩いた。

 ビールは美味かった。伸哉にとって目の前に広がる美しく綺麗な青と白が海なのか湖なのかはどちらでもよかった。それをボーっと眺めたまま、ただ動きたくなかった。

ビールがなくなったので立ち上がり歩き出した。多分この道をまっすぐ歩くと、多分ラハティの中心にもどれるはず。多分が、大体当たる。

 湖畔?多分湖畔だ!と思い込み、伸哉はゆっくり歩いた。シベリウスのカレリア組曲。行進曲が頭に流れていた。以前ラハティのピアニストと連弾をした事があったなー、とか思い出しながら。

 歩いていると、公園にたどり着いた。観光客か町内会の自然の草木を観察するサークルの皆さん(と勝手にきめつけた)が公園草木アドバイザー(定かではない)のようなシベリウスのような顔したおじさんに説明をうけてる。伸哉は後に紛れて聞いたり、木の方を見て、ほーっ、と頷いたりしていたが、突然、また歩きだした。そう、飽きたのだ。

 

どのくらい歩いただろうか、伸哉はちゃんとラハティの中心に戻っていた。戻らないといけない時間の五分前には、ラハティ音楽院の玄関の前に居た。こう見えても伸哉は5分前行動を、いやなんなら30分行動をするタイプの男。

 そして時間通りに学長室のドアをノックした。が、返事がない。待っていると、多分、宅配のお兄さん?か清掃のバイトか?ハワイ旅行から帰ってきた学生?風な男性がその部屋へ入って行った。学長さんとなんか関わり合いあるかもと思った伸哉は、再度ノックした。ドアは開いた。もちろんさっき入ったお兄さんだ。

「Hello. Is this the president’s room? I’d like to see the president. 」

「Yes, it’s me. Oh, you’re Shinya. Nice to meet you. Please feel free to play the piano in the hall. I’ll show you around.」

どうやら、アロハシャツ、短パン、サンダルの彼が、学長らしいことがわかり、伸哉は「素敵な国フィンランド、自由な国フィンランド、個性溢れる国フィンランド」と呟きながら学長の後ろをついて行った。

とても古く、素晴らしい響きの大ホールにスタインウェイのフルコンが一台あった。何時間でも自由に弾いてくださいと言われたが、まー2時間かなと、ポロポロ音を出してみた。

しびれる。なんと温かい響きなんだ。

静寂のホール内に、また音をばら撒いてみた。シベリウス、クーラ、メリカント、メラルティンの美しい小品達に変わっていった。そして、途切れることなく、フィンランディア。シベリウスの作品の中でもちろん一番有名であろう作品。第二の国家と言われる中間部の讃美歌的な部分はあまりにも知られている。

 以前、ヘルシンキにある「シベリウス音楽院(アカデミー)」でシベリウスの研究と演奏で有名なグラスベック氏に、シベリウス自身が編曲した、フィンランディア ピアノ版の講義とレッスンを受けた。ブゾーニが教授だったころ使っていた部屋とグランドピアノだった記憶がある。

それはおそらく、まだ教授の前では1音もだしてないシベリウスの「もみの木」のレッスンから始まった。

この音はミスプリントで、、こんな理由だよ。これは三拍子だがワルツじゃない。美しいメロディだけどロマン派じゃないからね、こうしないとね、若いピアニストやアジアのピアニストは良く間違えてる、とか、ペダリングはこれはシベリウスらしくないです、とか、ずーっと聞いて約30分間(もっと長く感じた)目から鱗的な素晴らしい講義を受けた後、

やっと

“聴かせてください!”

“あはは はい、、”

弾く前から伸哉は、出直してきた方がいいと悟ったが、いまの自分を曝け出した。

次に、フィンランディア。

教授のこの言葉にハッとした。

「この作品には美しさは一切ありません。悲しみと苦悩と誇り、、。特に中間部のテンポとアーティキュレーションは良く勘違いしてます。」

それらについてのレッスンは伸哉のシベリウス観を一変させた。

伸哉は今、この1人っきりの静かなホールで”あの”フィンランディア”を再現していた。

とにかく伸哉はめちゃくちゃwelcome されていた。日本人だからか?外国人さんには妙に優しくする日本人は沢山いるけど、そんな感じではない。

 ふと、ホールの横のドアから光がさした。誰かが見てる。気にせず弾き終わると、3人の男性が拍手をしてる。

「It was great! Thank you very much.!!」

ジャズ科の学生らしかった。

「ありがとう!」伸哉は日本語で叫んだ。

なんだか嬉しくなり、ホールの違う出口から外に空気を浴びに出ようとした。ホールをでると、そこに女性が一人で勉強していた。彼女は僕の顔を見て、なんやら話したそうにしていた。

伸哉は話しかけようとした、が

彼女の言葉の方が早かった。

「I really love all the Finnish pieces you played. I love them! Thank you for the wonderful time. You are the pianist who will have a recital at the History Museum tomorrow! right?I’m going.」(私!あなたが弾いた全てのフィンランドの作品を凄く愛してます。好きなんです!素敵な時間をありがとうごさいました!あなたは明日歴史博物館でリサイタルするピアニストさんですよね!私行きます。)

伸哉はまた日本語で

「ありがとう!!」と言った。

なんて素敵な国 フィンランド。

伸哉は呟きながら外にでた。そして少し冷たい空気を深く吸い込んだ。

 次の日、ホテルの素晴らしくうまそうな朝食バイキング。ビュッフェと言ったほうがイカしてる?まーようするに朝食の取り放題食べ放題だ。

しかし、伸哉は、今朝はコーヒーとパンとヨーグルトくらいにしておこうと決めてた。

フィンランドにきて食べすぎてるからだ。多分 シナモンロールっていう悪魔がそうさせたにちがいない。美味すぎる。

伸哉は、コーヒーを淹れて、まずパンを決めた。ライ麦のやつ。なんか足らないか?ハムとチーズくらいならまだ許せる。と皿にとった。そして、横にサラダを取る女性をみてしまい、少しなら大丈夫。野菜だし!と山盛りの野菜をとった。これくらいかな。席に戻ろうとすると、ふとなんやら焦げた長い香ばしいものが手を振っていた。いや、そう見えた、、しょうがなく皿にいれた。

カリカリベーコンというやつだ。え?その横にある、プリンの様なたまごの様な、見たこのない物体はなんだ?食べないとわからない。仕方ない皿に入れた。

伸哉は最初の決心のことは、既に忘れていた。

もちろん完食した伸哉はコーヒーをすすりながら、ラハティの地方紙、を見ていた。もちろん、フィンランド語だか、さっぱりわからない。パラパラめくりながら写真だけを見ていた。

ん?え?あー!おー、、まじか?

知っている顔がデカデカと載っていた。

自分だ。 伸哉の顔。

良く見たらどうやら今日の歴史博物館でのピアノリサイタルと2日後のラハティ音楽院のジャズ科の優秀な学生とのライブの告知らしい。

伸哉は、ラハティ市からの招待できていたので公的な新聞に載ったのだ。

伸哉は、もう一杯コーヒーを淹れに行った。少し周りを意識しながら。

だれも見ないし、誰も指をささない

伸哉は 可笑しくなり、なんだかホッとした。

レストランを出ると。伸哉は今日のステージ衣装、黒靴、黒靴下、など、ついでに生活に必要なもの、なんなら、カバンやお土産など、を買いに出かけた。

まー、大変不幸なロストバゲージ

って言うやつだ。戻ってこないんだからしょうがない。今日使うんだからしょうがない。買う。で、とりあえず、忘れることにした。何故なら、今回は全部で4つのコンサートが準備されているからだ。ザワザワした心ではできない。

そして今日、一つ目のコンサートが始まる。

泣いたり、悔しがったり、怒ったり、誰に言うべきかも定かではない苦情を言っても何も前に進まないからな。

全ての不幸を受け入れて、いまそこにある事を楽しむ。伸哉はそんな男だ。

ただフィンランドに遊びにくるだけのはずがこんなことに。いや、感謝するべきだな。ほんとに、前厄とは思えない素晴らしい出来事なはず。

ロストバゲージがなかったら。

そして、無事、いや無事でもない。ユーロの高さに?日本円の低さにやられ、燕尾服は買えなかった。

リサイタルが始まった。

黒シャツに安い黒靴を装い少し緊張した様子でピアノの前へ歩いていき、とびっきりの笑顔で礼をした。席はあの新聞の記事のお陰で満席だった。

オープニングは日本のメロディをモチーフにした即興演奏。こんな遊び心満載、何が起きるかわからないやつが、伸哉は好きだ。いつ終わるかわからないのがいまいちだが、ちゃんと弾き終えた。かなり自画自賛したいできだった。

そして、伸哉は聴衆に向かって礼をし、見渡した。笑顔が溢れている。音楽が好きなんだな!ピアノが好きなんだな!いや?僕のピアノが受け入れられた?んなことはどれでも良かった。ただただ、心地よい空気だった。

2曲目、シベリウスのエチュード、3曲目 シベリウスのもみの木、を続けて弾いた。

静かな森の中にでもいる様な感覚

“エチュード”は 練習曲だけど、この作品のもつ悲しさとハーモニーの美しさは、速いテンポで指の正確な動きだけでは全くもの足らない。Op. 76を全部弾くと、このエチュードをどんなテンポで、どんな歌をシベリウスはイメージしたか分かる。

伸哉は、歌を奏でた。

“もみの木”は、伸哉にとって「死と生」について語る、苦しく、悲しく、切なく、そしてとてつもなく見えない大きな存在を感じる曲。美しさや歌、ハーモニーの美しさだけを表現する薄っぺらいものではなかった。

Jean Sibelius 

Etude op. 76-2

Kuusi Op. 75-5

Jean Sibelius

「10 Pensées lyriques, Op.40 」

1.Valsettoe

2.Chant sans paroles

3.Humoresque

4.Menuetto

Oskar Merikanto

Valse lente 

Toivo Kuula

Häämarssi Op. 3-2

Erkki Melartin

Kaksi Ballaadia Op 5-1  “Kaksi joutsenta”

日本の作曲家はとても興味深く聴いてくれたようだった。

Yamada, Kōsaku

Karatachi no hana for piano solo

そして、プログラム最後「フィンランディア ピアノ版」

Jean Sibelius

Finlandia”, op. 26 no. 7. Arranged for piano by Sibelius.

中間部。伸哉は一度も目を開けなかった。身体も動いてなかった。ただ、深い呼吸をして、聴衆の心の声、シベリウスの声を聴いていた。

終わった。日本以外ではスタンディングオベーションは珍しくはない。演奏者に対しての敬意。聴衆がいまそこにいるアーティストが生み出す芸術を全て受け入れて、その今生まれる音楽を楽しむ想像力がそうさせるのだろう。

伸哉は下手くそな英語でゆっくり喋りだした。

「Thank you all for coming today. Finally, as an encore, I would like to play a Finnish version of a piece by Ryuichi Sakamoto, a very famous Japanese composer. Thank you very much.」(今日は皆さんお越しくださりありがとうございます。最後にアンコールとして、日本のとても有名な作曲家、坂本龍一の作品をフィンランドバージョンで演奏したいと思います。ありがとうございました。)

シベリウスか?の様な出だしから即興は始まり、戦場のメリークリスマス、アクア、などのモチーフが散りばめられた。その演奏は、まさにフィンランドに対する愛そのものだった。

次の日

ホテルの美味い朝食を、また沢山食べてしまい、腹筋に力を入れて、足上げ、ツイスト、しながら、先日ピアノ練習させてもらったラハティ音楽院までやってきた。

そしてアロハシャツ学長さんの部屋へ行き、親しげな挨拶をした。アロハシャツ学長は意外にシャイだった。日本人と国民性似てるとは思っていたが、やはり似てる。

アロハシャツ学長は伸哉をジャズ科の学生達が待っている教室へ案内しながら、伸哉が帰りに迷わないように丁寧に説明してくれていたが、伸哉はいまから何が起きるのかワクワクで上の空だった。

そう、伸哉とジャズ科の学生で明日老舗ジャズクラブでライブがあるのだ。しかも、クラシックピアニストなはずの伸哉を、「ジャズピアニスト」としても実績があると”あの”新聞に書いてあったのを伸哉は見てしまった。Google翻訳でフィンランド語に訳す手間をかけたのがまずかった。知らなかったら良かったかのか、、いや、結果は変わらない。伸哉は、ジャズピアニストじゃないから。

しかし、そんなことは今更

「あーのー。僕、ジャズピアニストじゃないんですよ。そんなアドリブなんて上手くとれませんし、、なんなら有名なスタンダードくらいしかしりませんしー実はそんなちゃんとした、、セッションなんてやったことないですしー。あー!でも、ジャズもどきなら弾けますよ、、でも、、色んなジャンル!そう、色々なジャンルがは弾けるクラシックピアノなんだけど、、あー、、でも」

と言っても遅い。

伸哉は教室に入ると、さらに顔が固まった。いや青くなった。

3-4人の学生と、と聞いていたが、なんと20人以上、しかも卒業生?教員達もずらーっと椅子に腰掛けて座ってるではないか!!!!!!!

そして、軽く紹介され、直ぐに主導権は伸哉に渡された!渡されても、、どうすんの? 何をするか指示してくれって?いや、こちらが聞きたい。多分、試されてるのか?わかったよ、、

伸哉は開き直って、彼らが用意しているナンバーを聞いた。知ってるのは意外に沢山あった。ほっとした、伸哉は、トランペット、ベース、ドラムス、ピアノでアドリブの順番を確認して、スタンダードナンバーを弾いた。

意外にできたみたいだった。ジャズっぽく。学生は優秀な学生が、選ばれたみたいで、かなり素晴らしかった。そういや、ここのジャズ科から有名なジャズマンいるみたいだし。

伸哉は、調子にのって学生に聞いた。

「Are there any famous Finnish jazz numbers? If there are, I’d like to try them out! 」

学生は嬉しそうに

「Yes, there are. “Ranskalaiset korot “is good!!!」

と言って、メロディとコードが書いてある楽譜をくれた。「Ranskalaiset korot、フランスの足音」というナンバーだった。確かに知らない。ぱらっと弾いてみたら、学生がyea that’s it!!

的な反応した。今度はクラリネットの学生が出てきて、早速やってみることにした。

いやー楽しい。良い感じ。なんと素朴なテーマ。目配せも自然にできる様になり楽しいセッションの時間もあっと言う間に過ぎた。

終わるころ、ハッとした。

いまセッションしていた学生達は、この前ホール練習を見に来ていた3人だったのだ。クラシックピアニストってことは承知の上でやってくれてたんだな。ありがとう。

伸哉は明日の夜のライブか楽しみで、仕方なくなった。

次の日の夜。20:00からのライブだ。余裕を持って1時間前にホテルを出た。

15分で着いてしまった。伸哉は30分前行動の男だが、海外では何かあるといけないと早めに着くようにはしてるが、、、全く早過ぎた。

ジャズクラブはとても雰囲気のいい建物と庭だった。まーいい。遅いよりは。ベンチに座り少し冷たい風にあたり待った。

19:50になっても誰もこない。

まさか、場所ちがう?伸哉は建物の周りを見に行った。

あ、、これ?入り口?

ジャズクラブの入り口は反対側の裏口みたいな所だった。

みんな来て準備をしていた。30分前行動の伸哉にとってはかなり悔しかった。誤魔化すように、明るく気さくにみんなに挨拶をしたが、早かったねと言われ救われた。

ライブは20:15くらいから始まった。そこで昨日合わせたナンバーから、今日やるセットリストが配られた。

「フランスの足音」も入っていた。

自然なんだな。

一部が終わったとき、一人の男性が休憩中に英語で話しかけてきてくれた。

「楽しみにしてたんですよ。いや、先日の歴史博物館でのピアノリサイタルに行ってね、とても美しかったんで今日もきちゃいました」

伸哉は嬉しそうに聞いた

「うわ。ありがとうございます。ジャズもお好きなんですか?」

男性は答えた

「僕はジャズがすきだけど、あなたの音楽が心地良かったんですよ」

伸哉は少し戸惑って聞いた

「そう言ってくれたありがとうございます。でも、今日はクラシックは弾かないんですよ。しかも実は、僕、ジャズピアニストじゃないんで、、、」

男性は笑いながら言った

「ここにいるみんな、そんなこと全く考えてもないですよ。温かいひとばかりです。ジャズピアニストとかクラシックピアニストとか関係ないですよ。どうしてそんな事を言うの?楽しく、あなたの音楽を聞きたいだけですから、気にしないで!後半も楽しみにしてますから。」

伸哉は単純な男。2部はもっと楽しく演奏できた事は当然だった。

ラストナンバーは、あの「Ranskalaiset korot」

さ!始めようとしたとき、バーカウンターの奥からマスターがなんやら叫んでる。

何かあったかな?と伸哉はキョロキョロしていたら、一番前に座っていた、かっこいい女性がステージに上がってきた。なんかオーラがある。何かが起きる。

すると彼女は、マイクを持った。

歌うのか!良くお客様を巻き込んでセッションってあるしな。ドラムスが合図出して演奏が始まった。カラオケピアノ伴奏は慣れてる。昔銀座のクラブでやってたし。なんなら、キーも自由自在に移調できるぞ!

歌が入ってきた。

う、上手い、、え?上手すぎる。なんだこのビート感、グルーヴ感!

只者じゃないと、直ぐわかった。また声がいい。

伸哉はアドリブの順になり、多分弾いたはずだが、彼女が素敵すぎて何を弾いたか記憶にないくらいだった。

すごい拍手だった。多分、僕にじゃなく、彼女に。気になってメンバーに聞いてみると、なんと!メジャーデビューしている有名なホップスターだよっ、て教えてくれた。

全ての曲が終わりバックステージに戻ろうとしたとき、伸哉はステージにまた呼ばれた。

え?ここでもスタンディングオベーション。クラシックピアニストがジャズなんて、と誰も思ってない空気感と温かい拍手は、伸哉を幸せにした。

ソロでアンコールを!と言われ、少し考えて坂本龍一!またか。とは思ったが、戦場のメリークリスマス ジャズ(もどき)バージョンを弾いた。原曲の雰囲気はあまりなく、完全に伸哉のバージョンになっていた。

弾き終わり、礼をするとさらにアンコール!iPadから探した。また、坂本龍一.。「koko」に大貫妙子が詩を書き、坂本龍一がピアノアレンジした「3匹の熊」。メロディをクラリネットの彼に吹いてもらうことにした。

知らない曲を通して対話ができる。音楽って素晴らしいな。意外とすぐ感動する単純な伸哉は、ウルウルしながら最後の演奏を楽しんだ。

ライブが終わった。

ほっとしてビールを飲んでいると、一人の男性が話しかけてきた。

「今日のライブ楽しかったです。来てよかった。ところで、最後の、、熊?の曲、(胸を押さえて)熱くなりました。なんて素敵な曲。楽譜があれば見せてくれませんか?」

伸哉は興味深くきいた

「ありがとうございます。音楽関係の方ですか?楽譜ありますよ。LINEありますか?送りますよ。」

男は食いつき気味に答えた

「わー。ありがとう!LINEあります。実は、私は学校の教員で、たまにピアノを弾いてるんです。」

伸哉はLINEに楽譜を送信して話しを続けた

「先生ですか!今楽譜送りましたから、弾いてみてくださいね!」

男はLINEを確認しながら

「そうそうこの部分の転調とコード進行が切なくなんだか心が熱くなるんですよ。」

興奮気味に男は早口で話した

伸哉はうれしくなった。音楽を通してこうやって気持ちを共有できるって素晴らしい。音楽は世界の共通言語。てほんとにそうだなと。逆に、指が早く動いてすごい!とか、よく響く(実際には響くという概念わかっているかどうか、)音ですね!顔の表情が素晴らしい!身体で音楽を表現されていて素晴らしい!とか、、表面的な感想を言う方は全く出会わない。

伸哉は23:00過ぎだが、なんだか気持ち良くてゆっくり歩いて帰った。さすがフィンランドの夜だ!寒い!

「フランスの足音」を口ずさみながら。

そして、ふと思いだした。

僕の荷物、まだ届かないんですが、、。まー、いいか。

明日からヘルシンキだ。

ヘルシンキへ行く朝。

ラハティの友達と奥さんがホテルへ迎えにきてくれた。

実は今から彼らの、湖畔にあるサウナ小屋、また所謂別荘に行くのだ。サウナとランチが目的。伸哉は今日と明日を楽しみにしていた。そう、完全フリー!

伸哉達は奥さんの運転する車でサウナ小屋へ向かった。道は広く、森と湖が左右に広がり、まさにフィンランドだ!と感じられる景色。しかし、どれだけ湖があるのか?Googleマップを見て確認しようとしたけど、あまりの多さで、「たくさん」ということで解決した。

1時間半くらいのドライブで彼らの小屋へ着いた。いやいや、小屋?そんなものじゃない。素敵な別荘じゃないか!伸哉は、車から降りるなり、子どもみたいにウロウロし、奇声をあげていた。

森の中にある、湖畔のサウナ小屋

フィンランドが好きな人たちは、これこそ憧れの場所。もちろん伸哉も初めての体験だった。

庭には沢山のリンゴンベリーが沢山赤く可愛い実をつけていた。

伸哉は摘んで食べた。甘酸っぱい味が口の中に広がる。クランベリーとちがうの?と友達に聞くと、高いところにツルが広がるのがクランベリーでリンゴンベリーは低いとこに這うようにできるんだよ。と教えてもらった。日本語ではコケモモがリンゴンベリーでツルコケモモがクランベリーらしい。

伸哉は友達とサウナの薪を割り、サウナな窯に焚べた。非日常的なちょっとした感動。サウナの温度が上がるまで、伸哉は湖を見ていた。静かだ。そして美しい。

シベリウスもこんな風景を見ていたに違いない。この空気を吸っていたにちがいない。

煩い音楽、激しい音楽が生まれる要素が全くない。

ボーっとしてたら、奥さんが白ワインを運んできてくれた。

「サウナ入ったら、ランチだよ。サーモンの燻製作るよ。伸哉が食べたがってた黄色キノコもあるよ。」

黄色キノコ。映画「かもめ食堂」で見て食べてみたかったやつだ。

Kantarelli(カンタレリ)といって日本のアンズダケの近種と言われるキノコらしい。
市場やスーパーで鮮やかな黄色のこのキノコは一際目を奪うくらいの存在だった。

サウナは。熱かった。いや、あまりサウナは好きじゃないのを忘れてた。2-3分入ったがすぐ出てきた。あまりにも熱くて湖に飛び込むか!と思ったが、心臓麻痺で水面に浮くと迷惑だな、と思いやめた。

奥さんがまたビールを持ってきてくれた。美味い!美味く感じた。なんせこのシチュエーションだし。

サウナから上がり。湖畔のランチ!

非現実的な出来事に伸哉はワクワク。

サーモンの燻製、黄色キノコのクリームソテー、リンゴンベリーが入ってるホットサラダ、美味しいパン、デザートはブルーベリークリームパイとコーヒー。白ワインは何故かドイツワインだったが、美味すぎた。

全て美味しかった。全て素晴らしかった。本当のフィンランドを体験したような感覚。

そして、短い滞在だったサウナ小屋を離れ、再びラハティへ戻ってきた。

友達達と別れ、ひとり電車でヘルシンキへ向かった。

ラハティからヘルシンキまで電車で1時間半くらいかな。寝てたらヘルシンキに到着。

荷物は少ない。何故なら

まだ、旅行カバン?スーツケース?キャリーバッグ?コロコロ?なんて言うのかよくわからないが、あれがまだ伸哉のところに届いてないからだ。

だから、重い荷物をコロコロしなくてすむ。

伸哉はカンピと言う比較的駅に近い場所に宿をとっていたので、街を歩いて、若干迷いつつ、観光がてら、ホテルへ向かった。ホテルと言っても簡単なキッチンや自炊できるものがついてる格安なアパートメントホテル。ラハティでのホテルより一泊二万くらい安い。伸哉は、そもそも安宿、格安航空券のノープラン行き当たりばったりの旅が好きなので、実はウキウキしてた。それは、明日、明後日はフリーだからって言うのもあった。

と言っても伸哉は3日後に2つのコンサートが控えている。ピアノを練習する場所はちゃんと確保してしていた。そう言うところは、変に真面目なのである。B型の隠れA型と言っても、誰も信じてくれないが、伸哉には親のA型の気質が少し混じってると信じている。

宿に着いた。もう18:00過ぎていたが、白夜?じゃないが、まだ昼みたいに明るい。荷物を置いて”聖地”に向かった。夕飯だ。決めていた場所。フィンランドに来る前から決めていた。

ホテルから意外に近かった。一度来た事があるから遠くから、あれだ!とすぐわかった。あの看板は特に分かりますい。

水色のかもめ

そう。「かもめ食堂」

見たところ、全員日本人だ。まーそうだろと思っていた。伸哉は、おにぎりと味噌と黄色キノコの天ぷらを注文した。どんだけ黄色キノコが好きなんだ。かもめ食堂の映画では、とても印象的で幻想的に登場するから、忘れる事はない。

もちろん美味かった。

伸哉は満足し、また歩いてゆっくりホテルへ向かった。知らない街のわからない路地をあても無く歩くのが大好きな伸哉は迷子も楽しんでしまう。そう、微妙に迷子になっていたが何故かホテルまでたどり着いた。

そして、シャワーを浴びてまだ少し薄明るい外を眺めながら、ベッドでビールを飲んだ。こんな普通の時間が好きだ。

そして、、、

いつのまにか、夢の中にいた。

翌朝。夢から覚めて、まだ夢の中にいるような朝のヘルシンキの街を歩いていた。もちろん朝飯だ。ヘルシンキの朝飯は、決まっている。コーヒーとシナモンロール。甘いパンの匂いに誘われて店に入る。シナモンロールは、どの店に食べても、味や形が違うので楽しい。しかも草履みたいに大きいのて、一つでお腹いっぱいになる。で、太ることになる。

ちなみにシナモンロールはアメリカのを良くみる。表面に白いシュガーがとろりとコーティングされてるやつだ。でも実は発祥はスウェーデン。スウェーデンではシナモンロールとは呼ばず、「カネルブッレ」と呼んでる。見た目は、貝殻の渦巻きみたいなやつ。

だが!フィンランドフリークはその両方とも見向きもしないのだ。

“いやそりゃ違う!ぐるぐる巻きで、真ん中が少しつぶれたような形なんだよ!”

とこだわる。それがシナモンロール。フィンランド語では「コルヴァプースティ(つぶれた耳という意味)」

伸哉はシナモンロールだけじゃ足らなくて、カレリアンピーラッカも注文した。

カレリア、、といえば、シベリウスの「カレリア組曲」?シベリウスが作ったのか?いや、そんなはずはない。シベリウスはアイノと新婚旅行でカレリア地方へ行っただけだ。

伸哉はすぐググる癖がある。

カレリア地方、、カレリア地方、。あー、ロシアに近い国境あたりだな。ほーどうやらそのあたりの郷土料理らしい。

シベリウスも食べたにちがいない。これは、伸哉の妄想。

とにかく、このカレリアピーラッカは素朴でなかなか不思議な食感で美味いのだ。ミルク粥をライ麦が入った生地で葉の形に包み、オーブンで焼き上げ、上にゆで卵ペーストみたいなのが乗ってる。伸哉は、通(つう)みたいに

「Excuse me, could you warm that up ?」と言った。

温めた方が美味いのを知っている。

伸哉は、朝飯を食べ終わると、港近くにある、スタインウェイギャラリーまで歩いて行くことにした。なぜなら、太ったからだ。トラムで行くと直ぐ着いてしまう距離を、のんびり寄り道しながら、なんならまたカフェで休憩しながら向かっていた。

港近くにあるマーケット広場には屋台がずらりと並んでる。伸哉がよらないはずがない。以前来た時このあたりが一番気に入ってしまったのだ。

昼くらいからはもっと沢山並ぶが、朝はコーヒーにしとく。海とカモメを眺め、少し冷たい海風を感じながら。遠くのなんとか島(思い出せない)が見える。その、なんとか島に行こうとフェリー乗り場には家族や恋人達が片手にコーヒー片手にシナモンロールを頰張りながら楽しそうに、しかも静かに話してる。それを静かに眺めている伸哉も楽しかった。

あ、島!スオメンリンナ島だ!!突然思い出した伸哉はニヤニヤして嬉しそうに、コーヒーをすすった。

そうこうしていると、スタインウェイギャラリーに行く時間になった。伸哉は「キートス!」と笑顔で言って席を離れ、また歩きだした。

スタインウェイギャラリーの場所はちゃんと調べてる。意外に用意周到。遠足の前の日や、学校に行く前の日は、ちゃんと準備と確認をするタイプなのだ。気になると、深夜でも起きて確認する、隠れA型の気質を持っている。

伸哉は2時間集中した。明後日ある2つのコンサートのプログラムをとにかく弾きまくった。ソロの暗譜を確かめるように。そして、バイオリンとのデュオのプログラム。本番当日の初リハーサルは30分しかないので念入りにした。集中するときは、するのも、伸哉だ。

そしてあっという間に2時間が過ぎ、伸哉はまた「Kiitos !」と笑顔で言ってまた、ヘルシンキの街へ歩いて行った。

今日のメインは終わった。だから、次の予定は決まってない。そこが、さすがB型である。当てもなく歩き始めた伸哉は、ふと思った。

あ、まだ僕の荷物届いてない。

お土産や買った服、帰国時にどうしよう。キャリーケースだ!買わないと。

そのあたりで大きなデパート、、

カンピセンター!ホテルに近いし。

伸哉の目的地は、カンピセンターにセットされ、そこを目指して歩きだしたが、スムーズにはいかない。

小径にふらっと曲がり、ふらっと面白そうな店に入り、またふらっと雰囲気のいい公園でまったりしたり、感じの良さげなカフェへ入りコーヒーをすする。ついでにランチも食べたりした。

そして、カンピセンターへ着いたのは

夕方だった。Googleさんは20分で着くと教えてくれたが、3時間かかっていた。それも旅の楽しさだ。

二日後

伸哉は、朝、ロバーツコーヒーへ行き、コーヒーとシナモンロールを食べて、ヘルシンキ大聖堂の近くにある小さなホールにいた。

今日はダブルヘッダー。2つのコンサートがあるのだ。ひとつは、ここでバイオリニストとオールシベリウスリサイタルだ。もう一つは、この旅のメインである、アイノラのシベリウスグランドピアノでのピアノソロリサイタル。よりによって同じ日に重なってしまった。いや、アイノラは実は、別の日だったんだが、なんか色々コミュニケーションが上手くいかなくてそうなってしまっていた。伸哉は、まーどうにかなる、としか思ってなかった。フィンランド側のオーガナイザーも時間的には充分可能だよ。と言ってそのままの日程で今日に至ったという感じだ。言ってもどうにもならないことは、さっさと受け入れて前に進む!伸哉の生き方は単純のように見えてるだろうが、そうでもない。パソコンで言えば、CPUが命令を処理するスピードを早くすれば早くするほどパソコンは快適になる。伸哉のCPUは意外に処理能力は速いのだ。人間関係や自分の生き方に対する選択能力や決断力はかなり自信を持ってもいい経歴、経験と年輪はもち備えている。しかし、ひとつ増設したいのは、メモリ。だいぶ劣化してるのは否めない。だか、伸哉はそれもまた受けいれて楽しむ。

伸哉はまだバイオリニストが来てないホールでグランドピアノを弾いてホールとピアノの性格を探っていた。

今日の共演者はもちろん初対面だ。で、もちろん初合わせ、でもちろん初共演でのコンサート。リハーサルは30分くらいしかないと言われていたので少し緊張感もあった。

伸哉がフィンランディアの中間部を弾いてると、後ろから拍手が聞こえた。

「素敵な音ね!あ、こんにちは!遅くなってごめんなさい!マリアです。よろしく。」

伸哉はピアノ弾いていた手を止めて後ろを振り返ると、とても笑顔の素敵なそしてとても大らかな感じの女性が立っていた。肩にはバイオリンをかついでいる。今日の共演者だとすぐわかった。

「あ!伸哉です。初めまして!今日のコンサート楽しみにしてます」

マリアはバイオリンを取り出しながら

「私も楽しみよ!早速合わせましょう。ロマンスからしましょう」

今日のプログラムは、オールシベリウスだ。

Romance, Rondino, Valse Triste, Souvenir and piano solo Finlandia

ロマンスを演奏し終え彼女は

「問題はないわね!素敵です。好きだわ、あなたの音楽。」

褒め上手だ。伸哉は、すこし気持ちよかった。単純だ。

「ありがとうございます!マリアさんのバイオリン、とても自然で共感できますよ。楽しいです。」

伸哉もマリアを負けずと褒めた。

ロンディーノ。とてもシベリウスらしい可愛い作品だ。一度合わせた後マリアは言った。

「合わさなくていいわよ。やりたいように弾いて。大丈夫、ちゃんとついて行くから自由にね!そのかわり(楽譜を指さして)ここは私自由に弾くからね!お互い、聴き合いましょうね」

伸哉は笑顔で頷いた。

そして、次に「悲しみのワルツ」の合わせは問題なく最後まで通した。マリアは演奏中も伸哉とコミュニケーションをずーっと取りながら演奏してくれた。演奏中も いいわ!それ素敵!と言ってくれていた。それは初合わせとは思えないくらい素敵な演奏だった。

「伸哉さん。ほんとに素敵で、私は何も問題なかったです。弾きやすかったわ。この曲すきでしょ?伸哉さんも」

伸哉は

「もちろん。大好きですよ。」

マリアは嬉しそうにまた話しだした。

「私たち、フィンランド人はね、悲しい曲や弱くて耳をすますような音が好きなのよ。この、シベリウスの”悲しいワルツ”はとても悲しい物語があるのよ。知ってるかしら?」

伸哉はそのストーリーをもちろん知っていた。

『クオレマ』、、フィンランド語で「死」を意味する。その劇音楽をシベリウスは作曲した。第一曲目がこの曲。ラヴェルはウィンナ・ワルツへのオマージュとして ラヴァルスを書いたが、シベリウスは「死」を題材にして、ウィンナ・ワルツとは全く違った、はるかに次元の高い作品を書いたのだ。ストーリーは確か、、

幼い息子の見守る中、母親が病床に伏している。母親は舞踏会の夢を見て、夢から覚めると病床から起き上がって踊るのだ。すると死んだ夫が彼女を踊りに誘いに来る。だが、夫と思った者は死神だった。母親はそのまま息絶えてしまう。

こんなストーリーだったはず。以前アイノラに行った時、そのインスピレーションを得たと言う絵画を見た。とても恐ろしく、悲しみに満ちた絵画だったがまだ脳裏に焼き付いている。

マリアは伸哉にまた話しかけた。

「日本人も私たちフィンランド人と多分同じでしょ。悲しく、弱い音が好きでしょ?」

伸哉は返事に困っていた。

そう、日本のピアノ業界やコンクールの審査を良くしてると、決してマリアが言う事に頷くことが出来なかった。

「僕は好きですよ。僕はね!」

伸哉は少しはぐらかしたように返事をした。なんだか寂しかった。

気がつくともう客達が入り口に沢山待っいた。2人は控え室へ向かい、着替え、またたわいもない会話をして開演を待った。緊張している空気は無く、今から始まる共演を心からワクワク楽しみにしている、そんな2人だった。

そして、コンサートは始まった。

今日初めて会った2人とは思えない、心の通ったアンサンブル。音の対話は2人をお互い幸せにした。打ち合わせや練習で生まるものじゃない、この即興的な感覚!伸哉のいつも目指している音楽だった。マリアは、本番中も、素敵!今の好きだわ!と伸哉の方を見て小声で言っていた。日本ではない経験。素敵な時間はあっという間に過ぎ去っていった。

「ほんとに弾きやすかった!ありがとう伸哉さん。フィンランディア、あんなに日本人も私たちの経験を理解して演奏できるのね!素敵な演奏ありがとう。またいつか一緒に演奏したいわね。」

伸哉は色々言いたい事が沢山頭をよぎったが

「キートス!ありがとう!また来ます。」

そう言ってありったけの笑顔で、会場を後にした。

そう。今日はもう一つ、このフィンランドの演奏旅行のメインイベントが待ち構えている。

アイノラ、、

シベリウスが好きな音楽家はこの地に一度は来たいと思う。そして、シベリウスの使っていたグランドピアノを触りたいと夢見るのだ。

「アイノラ」はシベリウスの妻アイノの名から取られたもの。フィンランド語で「アイノのいる場所」という意味だ。シベリウスとアイノは、1904年にここに建てた住まいに移り住み、以降半世紀以上をこのアイノラで過ごした。

森の中の、静かな場所。

伸哉はそのアイノラからピアノリサイタルを頼まれたのだ。夢のようでまだ信じきれてない。

現実なのか確かめに、伸哉はヘルシンキ駅からアイノラ行きの列車に乗った。

車窓から見える、森の木々、湖が、伸哉を夢の国に連れて行ってくれてるようだった。

1時間半くらい乗っただろうか、意外に早くアイノラの駅に着いた。

数年前にアイノラへ来た時は、なんだか細い山道を迷いながら向かった記憶があったが、今回はアイノラのコンサートマネージャーが車で迎えに来てくれていた。車だからなのか、道が良くなったのかわからないが、あっという間に到着した。あの、山道を迷いながら歩いたのも、伸哉は意外に好きだったのだが。

伸哉は観光気分でワクワクしていた。併設している美術館のカフェAulisで美味しいコーヒーが待っていた。伸哉はまだリサイタルの事は頭になかった。カフェのショップにシベリウスの言葉が書いてあるフィンランドっぽい写真のポストカードが気になり、数枚手に取りレジへ行った。

「伸哉さん。もうレジは閉めたのよ。ごめんなさいねー。だから、それ全部差し上げるわよ。お土産ね!」

遠くに座ってるマネージャーが笑顔で言った。

伸哉は、あ、じゃ、、これもいいかなー、、とあと2枚手にした。こう言う時は遠慮しないのが伸哉。はっきりしてるのが伸哉だ。

「もちろんいいわよ。他にはいい?」

伸哉は大きな声でお礼を言った。

「キートス!!!」

「そろそろコンサートの部屋にいきますか?グランドピアノ弾いてみる?」

マネージャーのこの言葉で、伸哉のやる気スイッチがオン。伸哉は、後1時間後にこのアイノラでリサイタルをする事は現実なんだと思えてきた。

2人は、静かな森の中に佇むシベリウスとアイノが住んでいた家へゆっくり歩いていた。

花壇には沢山の花が咲いている。周りには木に覆われていて、鳥の囁く声が聞こえてくる。

静寂なこの場に自分の音がどう響くのだろうか。

伸哉はワクワクが止まらなかった。

そして、どうやら夢じゃない事は分かった。

リハーサルは20分くらいしかなかったので、どんなグランドピアノ、どんな響きがする部屋なのかを確かめるだけだった。

一番音が少ない曲。

Jean Sibelius

「10 Pensées lyriques, Op.40 」

伸哉は、敢えてこのマイナーでしかも音が限りなく少なく、しかも派手ではないゆっくりとしたこの作品をこのアイノラで弾きたいと選んでいた。

静寂、、、。

音を出してみる。

その瞬間

自分がシベリウスになった。

と同時に過去へタイムスリップした。

シベリウスの心の軌跡を辿るかのように。

自分ではない何かが伸哉にピアノを奏でさせている。

伸哉は、そんな不思議な感覚を味わっていた。

心地よい。なんて幸せなんだろう。

ついに、夢に見た、アイノラでのリサイタルが始まる。

席は満席だった。

なのに誰も居ないような静けさ。

伸哉は、ゆっくりシベリウスのグランドピアノに向かって歩いて行き、グランドピアノの前で深く礼をした。

不思議と緊張はしてない。

観客の温かい目と受け入れてくれている笑顔がそこにあるから。

そして、さっき会ってきたシベリウスがそこに居たから。

「おわり」

024年11月22日 山根浩志 著



		
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11、12月コンサートご案内

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コンサートのご案内🥰アイノラのリサイタルをもう一度。アルバム付き

フィンランド🇫🇮 のシベリウスの家 アイノラでのリサイタルをもう一度と。ラリッサ北欧雑貨屋さんが主催、フィンランド大使館、日本シベリウス協会などの後援で行います。予約は予約QRコードから!
珍しいガムランとピアノのコラボ!レアです!是非!

他のコンサート!

予約は山根まで!

アイノラの画像もみてね。

まず、アイノラ限定 ポストカードを!素敵なシベリウスの言葉も。

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新 下関教室!に引越しました!

素敵だった阿弥陀寺町の下関教室が

8/1より 南部町に引越ししました!

より広く、空間もあり、素敵な場所になりそうです。

Google mapも移動してます。場所は必要な際に確認か、お問い合わせください。

今後とも よろしくお願いします。😎🌿🌿🎉

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短編小説[ 悲しいラオスの瞳 ]

1話

明日はバンコクへ戻る日。

と言っても特別することもないのが、ラオス。

ラオスを旅する人は、のんびりとした時間、癒しと静寂を求めてくる。

彼も同じだった。

ヒロシはピアノ弾き。バンコクへ旅行がてらピアノを弾きにきた。ピアニストとは程遠い風貌のヒロシは、東南アジアに来ると、さらに普通のおじさんと化す。そして、現地民に紛れる。

ヒロシが、コーヒー屋にはいると、ラオスコーヒーの焙煎のいい匂いがした。でも、今日はスイカジュースかな、と、コーヒー屋で迷わずスイカジュースを注文した。そんな変わり者だ。

テラス席がいい。通行人を見ながら、いろいろイメージするのが好きだから。トゥクトゥクのドライバーも暇そうで、たまに目が合い、よう!という様な目配せしたりした。

通行人観察以外、何をすることもなく、スイカジュースを飲みながら、ゆったりとした時間が過ぎていった。

「すみません日本人ですか?」

隣の席でひとりコーヒーを飲みながらたまにこちらをちょこちょこ見てた男性だった。

あ、日本人ってわかったのか、と意味不明な惨敗感を感じながら

「はい。そうですが、なにか?」

「こんにちは。私は日本に10年くらいすんでたんです。少しお話ししても大丈夫ですか?」

確かに、綺麗な発音。しかも鼻に付かない。慣れている感ある。だいたい、詐欺師か真正日本ラバーかに分かれるのがアジア旅行の基礎。

で、、この彼は、、、多分大丈夫。しらんけど。

「いいですよ。よろしく!ヒロシです。」

「ありがとうございます。マサです」

ちなみに、ラオス人だけど、勝手にジャパニーズニックネームを持っているのはアジアではアルアルだ。

 彼は、東大に留学し大学院の研究したあと、少し日本で仕事をして、わからない理由で解雇され、帰国せざるを得なかった、、など流暢な日本語ではなした。

半信半疑だが、話しは弾んだ。

半分信じないのも、アジア旅の基本。

「ラオス人はいまとても苦しんでいます。G7の国は、嘘つきです。日本は

民主主義ですよね?どうして、今独裁国家みたいになってるんですか?あなたはどうおもいますか?」

あー、なるほどこうきたか。真面目に話すべきが、適当にごまかすべきか、、。ヤマネのCPUはこんな時、最速で処理するのだ。

「民主主義だよ。一応ね。G7のなかで何処が1番嫌いなの?」

真面目に話すことになってしまった。

「それは、間違いなく日本の兄貴ですよ。」マサははっきりした声で答えた。

「あー、USですか、、」ヤマネは自分の考えをこれ以上いうとめんどくさくなると思い、話を変えることにした。

「日本ではどんな仕事したの?」

「情報処理関係の研究です」マサは食いつき気味に返事をした。

ヒロシは情報処理とか全く興味はないものの、後少ししかないスイカジュースをなるべく飲み干さないようにしながら、さらに質問した。

「へー。難しいことやってたんだね。ICTとは違うの?」

「基礎です。情報処理の。東大大学院でも研究してたんで」僕、頭いいんです!とでも言いたそうな勢いだった。でも、人は良さげだし、目も澄んでいる。いや、目が悲しそうでもあった。

ヒロシは、僕の事聞いてくるなよ、、と祈りながら、日本語で喋れることを喜んでいるかの様なマサの話しを、暇つぶしに聞いてあげることにした。

2話

「ところで、ヒロシさんは仕事はなにをしてますか?ここで仕事ですか?」

案の定。想定内。やっぱりきた。

その質問。アジアアルアル質問。

年齢は聞いてこないけど、初対面で職質は決まって行われる。

もちろん嘘をつくこともある。

無難にオフィスワーカーにしとこう。と頭をよぎったが、マサの目をみたら、

「先生してます。音楽のね」

あ、言ってしまった。

そして、決まって

「わー。先生ですか。素晴らしいですね」

と、続くのだ。

ピアニストなんて言ったらまためんどくさくなるので、それはアジア旅行沢山経験してきたヤマネは、動物的感覚で言わなかった。

マサは更にこう言った。

「何歳くらいの学生を教えますか?留学生はいますか?」

つついてくる。

「大体、18歳以上かなー」

と濁しつつ、あ、それって絞られるか、とマサの反応を待った。

明らかにマサは何か分かったかの様に

「僕の様なラオス人いますか?」

「いないねー。ベトナムやタイ、ネパールや中国からの留学生は良くみるけどね」

真面目に答えるヒロシに、身を乗り出して聞くマサの目は何か言いたさげだった。

マサはコーヒー、ヒロシはスイカジュースに手を伸ばした。

「僕は、もっと勉強したかったです。日本で、、」

「じゃ、また日本に行ったら?大学院にもどるのは?東大でたんなら仕事あるんじゃない?」

「、、、、、、、」

マサの目が突然悲しそうに見えた

ヒロシは何かダメな事を言ったに違いないと気づいた。

そして、マサはゆっくり口を開いた。

「日本人は大好きです。日本の文化も好きなんです。また行きたいといつも思います。

でも、日本は嘘つきです。日本政府は大嫌いです。」

ヒロシはマサの怒りと悲しみに満ちた目と言葉に少し戸惑った。

嘘つきか、、ヒロシはその言葉にどう返すか、また残り少ないスイカジュースをストローですすりながら考えていた。

ふと、27歳か28歳か忘れたが、バリ島で怖い経験をした事を思いだした。というか、あの経験はいまでも、ヒロシのアジア旅の基本になっている。

「信じない、ついていかない」

人一倍何にでも興味を持ち、知らない人とでも瞬時に友達になる、人を信じやすいヒロシは、アジアに来るとさらに自由になるのだ。

あれは、バリ島のスミニャック近辺を1人ブラブラしてたときだった。バリ島では、それを「ジャラン ジャラン」という。

それはまさに、いまマサと出会ったような出会いだった。

3

「すみません。こんにちは。日本人ですか?」

ヒロシはバックパックひとつで、バリ島のスミニャック近辺をうろうろしていた。バリ島はもう3回目くらいで、若いヒロシは変な自信があった。

「はい?!はい。日本人だよ。なにか?」

道を歩きながら現地の人やバックパッカーたちとすぐ友達になり座り込んで、時間を忘れて話しをすることは珍しくない東南アジアの一人旅。

Hi. What’s up,bro?Where are you from?alone here?」

Hi. Im good !from Japan .Yea alone !How about you?

から始まるコミュニケーションを楽しんでいた。

でも、気をつけないといけないのは、相手が日本語で話しかけてくる時。

ヒロシはそれもわかってはいた。

「私の名前はマデといいます。」

んーバリ島では、ワヤン、マデ、コマン、クトゥ、くらいしかいないのだ。ワヤン!と叫んだら、沢山振り向く。楽しいが、面倒くさい。

長男がワヤン、次男はマデだ。

彼は次男か。くらいしかわからないヒロシは、

「あ、どうも。ヒロです。」

ヒロシは長い?のでヒロにしている。

マデの服装はきちんとしていて、とても清潔度あり、貧しさは感じられなかった。日本語はインドネシア訛りだが、まあアルアル。

マデは兄弟が東京に住んでいて、日本に今度行くから日本語を教えて欲しいと言った。10分くらいかな、色々話しをして、なーんだなかなかいい奴だなと思ったヒロシは

「うちの父も日本語を少し習いたいと言ってます。そこに家ありますから、来て教えてくれませんか?」

のマデの言葉に

Ok、暇だし少しならいいよ」

一人旅は基本、ノープラン。何か楽しいことに巡り会えると、そこに一日時間を費やすなんて普通だった。

ちなみに、ヒロシは、それまでも路上で出会った奴と魚釣りに行き、その人の家で焼いて、素手で食べたり、バイク2ケツで珍しい寺院や滝を見に連れて行ってもらったりしていた。

「車で来ていますから、連れていきますよ。近いです」

ヒロシはマデのトヨタのセダンに乗せてもらい彼の家へ向かった。

近いと言ったな?それにしては、結構走る。しかも、あえて小道をぐるぐる回っているようだった。

「まだ?近くないね。」

「すぐつく」

バリ島の、すぐ、と、大丈夫は当てにできないのは知っていたヒロシはとりあえず暇だし、また会話を楽しみながら着くのを待った。

15分くらい走ったか、周りに民家もない様な場所の意外に綺麗な一軒家に到着した。

ヒロシはさすがに心配になった。ここはどこなんだ?帰りはどう帰るんだ?

と考えている時

マデが「こっちです。中へどうぞ」

言われるままに部屋へ入ると、生活感があまり感じられない、机小さな冷蔵庫と、あまり綺麗ではないソファが二つあった。

そして、奥から1人の男性が出てきた。マデは彼は父だと紹介したが、

ヒロシの頭の中は、ここは何処だ?がずーっと巡っていた。

ソファへ座ると、マデが話しだした。

「日本へ行く為に日本語教えてください。」

もちろんそのために来たんだけど、なんだ?改めて。まだ、なんかありそうと、今頃直感的に感じたヒロシは、

意味不明に明るく振るまい、笑顔を振り撒いた。

マデの父はワヤンという。

ワヤンは穏やかで紳士っぽく優しそうな人だった。

ただ一つ、ヒロシが不安をよぎる言葉をワヤンから聞くまでは。

4

さっきまでフランクに話していたマデは急に話さなくなった。

「日本語、、、教えますよ!」

空元気ってこういうことか、とヒロシは何だか可笑しくなったが。

ヒロシだけがひとり浮いているのを感じた。

ワヤンとマデは少し緊張した面持ちで何かを言いたさげにしているのだ。

「いつ日本へ?」

会話が途切れた間を埋めようヒロシが切り出した。

「実は、ヒロシさん、、」

優しそうなワヤンが、カタコトの日本語でゆっくり話し出した。ヒロシは静かに唾を飲み込み、次に発せられる言葉をワヤンの口元を睨みながら待ったが、次の言葉はヒロシの横にいたマデから発せられた。すこし焦ったように

「少しお金を貸してほしいんです。東京に行く為に貯めていたけど、母の病気の治療のため無くなって、、絶対返すので、」

嘘だ。そんなヒロシに騙され、と言う歌があったが、そんなのヒロシでも騙されない。昔のテレビドラマにでも出てきそうなこのシチュエーションにちょと笑えてきたヒロシだか

「いま、現金ないよ。」

本当になかった。アジア旅の原則。

現金は分散して持って、必要以上に財布にいれない。そしてクレジットカードは財布に入れないのだ。

「そうですか、カードはありませんか?」

一気にヒロシの危機管理のスイッチが入った。そして、思い切った。

「ありますよ。カードなら。いくらかしましょうか?」

ten million(10,000,000)ルピアあれば」

テンミリオンルピア。凄い単位だが、

その当時は多分日本円に換算して、10万くらいだったかな?文系頭脳どんぶり勘定、計算を想像力で解くヒロシには実はわかってなかった。

「じゃいまからお金下ろしてくるよ。」

でも、変に冷静なヒロシは、日本語は教えなくていいのか?とかくだらないことを考えていた。

「車で、僕が行ってくるからカード貸してください。」

って言われて、はいはいと貸す奴がいるか?暗証番号いるんだぞ!聞かないのか?とかどうでもいい心配をしながら、ふとワヤンは?と気になり見ると入り口を塞ぐように立っているではないか。逃げれませんよのサイン?

映画かテレビドラマの危ないシーンに紛れ込んだ気分だった。こんなときに、妙に冷静でしかも可笑しくなるのがヒロシの性格。根性が座ってるていうか、おおらかというか、鈍感というか、、、。

「わかった。じゃ一緒にいこうか。」

もちろん、財布の中にはクレジットカードは入っていない。

「日本語は後から勉強する?」

またこの状況でこんな事を平気で言うのが、ヒロシだ。

そしてマデとヒロシとワヤンは3人で車に乗りATMに向かうことになった。

マデとワヤンは隣のキッチンみたいな部屋で何かしら準備を始めた。ヒロシは

殺される?拉致される?いやもう拉致されてる?埋められる?

日本人が殺されたと新聞に載ればいいが、誰も気が付かないまま消えるのはいやだな

いま部屋には2人はいない。

逃げよう

次の瞬間、気づかれないようにヒロシは静かに入り口に向かい、ドアのノブを握った。

なぜドアの鍵をしめないのか?だめだろう。詰めが甘いのもアジアだなーとかくだらないことを瞬間思っただ、とりあえずそれどころじゃない!

ドアを開けた!

そして、全力で走った!

どこをどう走ったか記憶がない。ただ、前だけ見て走った。 

方向音痴予備軍のヒロシは1時間くらい彷徨い、やっと見覚えのある通りにでた。かなり迷ったが、おそらく歩いても5分くらいしかかからない場所へ、車で15分もかけて連れて行かれたようだった。

幸い、2人は追って来てないようだった。

ほっとしたヒロシは、また目的もなく歩いた。ヒロシなりの旅の基本バイブルに、1項目追加できた事に満足しつつ、いい感じのカフェに入った。

Hi. Can I have a watermelon juice?」

ヒロシは残り少ないスイカジュースを飲むふりをしながら、このバリ島での出来事を思い出していた。

マサの目を見ながら。

嘘つきか、、、嘘つきか、、

日本人は好き、、日本は嫌い、

嫌いかぁ

ヒロシの頭の中を彼の言葉がぐるぐる回っている時

急にマサが言った

「奴隷ってまだあるんだよ」

「え??」

5

マサの目はヒロシの目を突き刺した。

怒りに満ちたマサの目はすぐに

とても悲しくいまにも泣きそうだった。

「差別は好きじゃない、、どうして日本人は差別をするんですか、、いじめは嫌いです。」

ヒロシはすぐに次の言葉を見つける事が出来なかった。

「僕は差別もいじめもしないけど、、」

とは言ってみたものの、その言葉はなんの意味もない事にすぐ気付いた。

「日本だよね、ごめんね、」

と、日本を代表して謝ったところで、マサの悲しい目、いやその奥にある悲しい心の経験は癒されるはずがないのもわかっていた。

マサは小さな声で話しを続けた。

「ここラオスは今、独裁です。ラオス人民革命党による一党独裁体制知ってますか?  僕たちは苦しんでます。これ、、」

と、マサは数枚のキープ(ラオスの通貨)札をみせた。

「これ、何ですか?」

ヒロシは見た通り

「ラオスのお金だよね? キープでしょ?」と答えた。

「いや、、紙屑です」

確かに5-6年前に比べてラオスキープの価値は半分以下になってることをヒロシは知ってはいた。

でもさー!ラオスは社会主義国家だから昔からタイより物価は高く感じるぞ!ことに観光客の外国人価格に関しては、、紙屑なんて感じたことない!

と、心の中で反発したが、、

「日本人にはわからないですよね。」

のマサの言葉で遮られた。読心力あるのか?グッドタイミングだった。

「まあ、アメリカドルとかタイバーツで払うからあまり感じれないかもね、外国人は、、」

ラオスは輸入品が多いからタイより物価が高めに感じる。ちょっと安くなってるかな?と感じるくらい。ただラオスで作っているビール(ラオビア)や「カオピヤック」とかは確かに安くなったかなーくらいしか感じない。

カオピヤック

「だからまた日本に行きたい。勉強もしました。努力もしました。でも、ラオス人は日本からはウェルカムされません。だから、、日本の仕事、解雇されました。、、奴隷の様に扱われて少ないお金で、、」

そしてマサの呟くように、しかもしっかりした声で言った。

「どうしていじめる。どうして差別する。」

マサの真剣で叫びのような、力のある言葉にヒロシは戸惑っていた。

「ラオスではないの?外国人を差別したり、、」

「ラオスでは絶対ないよ。」

そしてマサはしっかりヒロシの目を見て言った

「ザバイディーわかりすよね」

ヒロシは少しのラオス語は知っていた

「こんにちは、でしょ?」

マサは久しぶりに笑顔を見せてくれた。

6

「そう。日本語のこんにちはです。意味わかりますか?」

マサは少し優しい目になった。

こんにちは、、、かぁ

日頃あまり意味なんて考えながら使ってないない。

ヒロシは少し適当に言ってみた。

「今日は(こんにちは)御機嫌いかがですか?とかどんなかんじ?っていう感じかなー。たぶんね。」

しらんけど。と最後に言いそうになったがやめた。

マサは静かに頷き、コーヒーに手をのばし、また静かにコーヒーをすすった。ヒロシも、もうほとんど残ってないスイカジュースを一気に飲んだ。既にスイカジュースは温かくなっていた。

マサは遠くに流れるメコン川の方を見ながら優しい目でつぶやいた。

「ラオスの人は、みんなに幸せになってほしいんです。」

「そうだね」

ヒロシは躊躇なくこの言葉を言っていた。それはラオスやタイに長い間訪れて、訪れ続けて正に感じていた事だったからだ。だから外国人にも差別やいじめは絶対しないんだよな。

マサはメコン川からヒロシに目を移した。

サバイディーはラオス語で「こんにちは」という意味ですけど、サバイには<幸せ>というニュアンスが含まれているんです。」

とても美しく、流暢で、難しい日本語を巧みに使うことができるマサを見ながら、本当に日本が好きなんだ、マサは、、と少し胸が熱くなった。

そして、彼のその言葉にハッとした。

「ラオスは微笑みの国っていうよね。たしかに、微笑みながらザバイディーって言われたらそれだけで幸せになるよ」ヒロシは少し興奮気味に答えた。

マサは微笑んだ。そしてまたメコン川の方に目をやってゆっくり話しだした。

「ラオスは沢山民族があるんです。貧乏です、みんな。お金はありませんけど、あの川や山からの恵を受けることで豊かに生活してますよ。みんな幸せです。」

「みんな幸せなんだよね。」

ヒロシはバリ島やタイ、ミャンマーを旅をしていつも感じたこと、いやそれを感じに行っていたかのかもしれない。

文明が発達した日本で暮らすヒロシに、幸せは便利さやお金では測れないことを教えてくれていた。

マサは笑顔で話しを続けた。

「自分の幸せより、みんなが幸せになってほしいと祈る言葉が、ザバイディーなんてす。もちろん日本人にも。」

ヒロシはマサが日本で負った心の傷の事を思うと心が苦しくなった。

「優しい言葉なんだねぇ」

最終回 7

「ありがとう。」

マサは穏やかな口調で続けた。

「ヒロシさんは優しいですね!僕が日本を馬鹿にしたような言葉に聞こえませんでしたか?外国人にこんなことを言われて嫌な気持ちになりましたか?そう感じたなら謝ります、、、」

「謝るだなんて、そんなことないよ。話してくれて、ありがとう。」

ヒロシはスイカジュースのストローを勢いよく吸った。

「ははは。もうないよ。」

マサは笑って、突っ込みを入れてくれた。

「ねえ、どうしたいの?今後」

ヒロシはマサと友達になったのを感じたのか、いきなりラフに話しかけた。

「ラオス人は奨学金は無理なんです。でもね、今忙しいんです。ここでの仕事」マサは生き生きとした目に変わっていた。

「そうかー。ビエンチャンで仕事するの?コンピュータ関係?」

「そうです。コンピュータの仕事です。去年に比べて収入が3分の1になったけど、楽しいです。」

ラオスキープはいま暴落してる。マサが言ったように本当にキープが紙屑になるかもしれない日が来るかも。

ヒロシは少し真面目な面持ちで聞いた。

「日本には行かないの?行きたくないの?」

マサはヒロシの目を真っ直ぐみて言った。

「お金はないけどラオスに居たら幸せです。でも僕はまだ日本でやりたい事がある、、論文を完成させたいんです!だから、夢は諦めてないです。」

「そうか!素晴らしいね。でもまた日本で辛い思いをするんじゃ?」

マサの前向きな言葉の腰を折るような事を言ってしまった感満載のヒロシは

またダメな事言ってしまった、、と

心配しながらマサの言葉を待った。

「僕は少し、少しだけど強くなりました。日本語もあれからずっと勉強してます。前より上手くコミュニケーションできるとおもう!お金がないから、働いて、一生懸命働いてお金を貯めないとだけど。」

ヒロシは、ラオスで日本行きの資金

を稼ぐことは並大抵の事では無いことは想像できた。

マサは続けた。

「ただ、、」

「ん?ただ?」ヒロシはマサの気持ちが手を取るようにわかった。

ヒロシはマサの気持ちを代弁するように

「日本は嫌いなんでしょ?今の日本は嫌なんでしょ?」

マサは2回頷いて言った。

「そうです。今の日本は嫌いです。」

「いいことがあるよ。」

ヒロシはウキウキした口調で続けた。

「マサさんが変わればいい!」

「僕が変わる?」

「そう!大丈夫!!悪いけど日本は変わらないよ」

また適当な性格が出てしまったヒロシだったが、あながち嘘でもなかったが、付け加えた。

「変わりたい!できる!やりたい!行きたい!と思い続けると現実になるよ」

マサは嬉しそうに

「ありがとう。はい!変われる。そう思います。思い続けることは大切ですよね!」

どれくらい話しただろうか。メコン川の向こうはうっすら赤くなってきていた。

マサは思い出したように顔をヒロシに向けた。

「あ!!!」

「え???」ヒロシはまた何か問題提起か?とビクビクした。

「まだ言ってなかったよ」笑顔のマサは早く言いたそうにしていた。

「なんだろ?」

「明けましておめでとう!」

「あ、まだ言ってなかったね!明けましておめでとう!」

そして、マサは今日1番の笑顔で言った。

「今年は、より良い年越しになりますよいうに!ヒロシさんも僕も!」

ヒロシはなんだか幸せな気分になった。その気持ちを噛み締めていたら

「あ、すみません。もう帰らないと、

忙しいんです。僕!カフェバニラのコーヒーの方が美味しいよ!日本に帰る前に行ってみてね! 」

ヒロシはなんだか可笑しくニヤニヤしながら

「元気で!ありがとう!またここでいつか話したいね。あ、日本で会えるかもね」

「はい!ありがとうございました。また!」

マサは手を振りながら走って消えていった。

なんだか呆気ないお別れだったけど、ヒロシは暖かい気持ちに満ち溢れてた。

もう少しここにいよう。今日はここのコーヒーも美味いに違いない。

Excuse me. Can I have a cup of coffee, please?

終わり

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バンコク青少年国際音楽コンクール2022の審査を終えて

Bangkok International Youth Music Competition finished.

Thank you very much to Mr. Prapansak Pumin, who planned and managed all the events, and to all the staff. And thank you.

We also had a master class for the winners. I think the potential and power of young musicians in Bangkok is amazing. It’s true that many Japanese competitions have an average score of around 80 points, but it’s hard to get above that. In Bangkok, the average score was a little lower, but I was able to listen to performances that felt like 100 or 90 points or more.
It is something different from the basics, daily lessons, and the teacher’s music.
It could be an overflowing talent.
I’m really looking forward to the future.

I’m looking forward to next year.

Hiroshi Yamane

バンコク国際青少年音楽コンクール
終わりました。
全ての企画運営したPrapansak Puminさん、スタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。感謝。

受賞者のマスタークラスもさせて頂きました。バンコクの若い音楽家の可能性とパワーは凄いと思います。確かに日本のコンクールは平均点は80点くらいが沢山ですが、その上がなかなかいない。バンコクは、平均点は少し低いが、100点や90点以上に感じる演奏を聴けました。
それは、基礎や日頃のレッスン、先生の音楽とは別の所にあるもの、、
溢れでる才能というものかも。
本当に今後が楽しみです。

来年も楽しみにしてます。

山根浩志

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12/18 クリスマスコンサート&発表会2022

14:00-18:00は

ピアノと歌の発表会!生徒たちが演奏します。🥰

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バンコク青少年国際音楽コンクール 審査🥸を終えて

バンコクとの繋がりはもう長い。大学関係の音楽家達、バンコク在住の日本人音楽家達とこれまで沢山コンサートを、させてもらう機会がありました。

前回、この夏に、シーナカリン大学でのマスタークラスとコンサートをさせていただきました。今回は バンコク青少年国際コンクール2022/the Bangkok International Youth Music Competition 2022.の審査をさせてもらうことになりました。ほんとうに素晴らしい仲間に恵まれてることに感謝。ありがとうございます😊

さらに、上位入賞者には、年末、バンコクにてマスタークラスとコンサートをさせてもらいます。

今回審査させてもらい、感じたことは沢山ありますが、一番感じたことは

自分の意思、自分の気持ち をちゃんと持っていて、それを表現する力がみんなある。しかも楽しんでる!!!日本にはない、自己紹介は、まさに俳優のような! 日ごろから、クリエイティブドラマを実践しているような皆さんでした。

教え込まれているような、訓練されているような、作り込まれているような、不自然でありなんとなく上手く聞こえる演奏、、日本にはよくあります。その良さは、コンクールに勝つ!の他になにかあるのか?と、日ごろから感じるが、今回のバンコクや他の国の子ども達にはそれはあまり感じなかった。

もちろん、メカニック的(テクニックは表現にリンクしていなければいけませんが、ここでは、単なる指の動き)な面を言えば、日本🇯🇵の子ども達の方が長けているのは明らかでしたが(バンコク青少年音楽コンクールにもメカニック的に素晴らしい子ども達も沢山いました!)、それを踏まえても、素敵に表現してる!伝える力は、はるかに素晴らしいと感じました。

あと、よく、奏法にこだわる指導者やピアニストがいますが、このコンクールでの子どもはハイフィンガーで弾いている者は少なく、やはり日本のピアノ教育は、悪しき昔の弾きかたや習慣をひきづってるなーとつくづく感じました。

審査の項目に、技術、リズム、音質、解釈、自信と流暢さ がありました。

自信と流暢さ!はみなさん素晴らしい!!音楽が、喋っている。ピアニストのような自信!

音楽を言葉で説明する事が出来ないから、音で表現する。それはもちろん!だが、言葉で表現する力がある子ども達は、ピアノで音楽も語れます。

教員やピアノ講師、ピアニストも、一つの事柄をいろいろな言葉で言い換える力は必要ですね。何故そうなのか、その解釈か?音質か?奏法なのか?を、子どもたちや生徒が自分の想像力や思考を使って納得できるような、材料を与えてるのが先生のナビゲーター的な役割だと思ってます。

音楽を言語化することはとても大切です。コミュニケーションには想像力が必要である様に!伝える、受け取る は、まさに芸術そのもの。

まだまだ、色々思う事はありましたが、日本の良さをもっと自然に出せるようになればいいのにと感じたところです。

さて、年末年始バンコク。3つのコンサートもあります。ニューイヤーコンサートは、パキスタン🇵🇰へのチャリティーになります。 楽しみ😍

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山根浩志とその仲間たちコンサート  終了しました。🍺🍺

いや!楽しかった!四年ぶりのアンサンブルコンサート。

山根クラスは、年に2、3回コンサートします。発表会とも言うが、あえてコンサート!発表会は親そして先生向けで、コンサートとはまた趣きが違うように感じるし、出演者の気持ちの持ち方も違うとおもいます。

今回は、アンサンブル。二台ピアノ、連弾のコンサートでした。自分一人ではどうにもならないし、自分一人以上のものができる楽しさがあります。いつもは、先生!だけどステージ上では同じ立場。演奏家です。

もちろん、本番に向けてレッスンはしますが、指導してもらうというより、山根から伝わってきた何かを、受け取り、今、自分はどうすればいいかを考えて、2人で音楽を作り上げていく。この積み重ねを大切にしていました。

コンサート前日から爪からバイ菌入ったか、指先が化膿し痛みもあり不安でしたが、なんとか生徒、お弟子さん達に迷惑をかけず演奏できた事、、本当に良かった。

しかし、今回のプログラムは楽しかったし、難しかった😂みんな、素晴らしい演奏してくれたし!そりゃ、理想言いだしたらキリがないですが、素晴らしかったことは、僕の音を良く聴いてくれた!みんな素晴らしいピアニストでした。

ソロにも、アンサンブル的な要素があります。一人ですが!😁逆に、ソロで、自分の中の自分とのアンサンブルができないものは、他人とのアンサンブルは難しいでしょうね。

さあ。次は、クリスマスコンサート。ソロ。もちろん強制しません🥸出たい人だけ。

レッスン10回より1回のコンサート

晒される事、失敗すること、比べられる事、はみんな嫌いです。

でも、やってみる!!

それが大切。

そう!ピアノ楽しく!😎😍