「楽譜がない?全て即興ですか?」
「やります!やらせてもらいます!!よろしくお願いします。」

そうして、僕はクリエイティブドラマの世界に足を踏み外し、、あ、いや、、足を踏み入れてしまいました。
とはいえ、その当時の山根は、それが「クリエイティブドラマ」の手法を使ったミュージカルだとは全く知りもしませんでした。ただ、楽譜がない、即興ができる、そして大好きなミュージカルに音楽制作と演奏に参加させてもらえる!という、ONLY興味津々、それだけでした。
「即興」はそのころできていたのか?
YESと言っておきましょうか。もともと山根は作る?創る!?事がすきでしたから。
保育園時代のひろちゃん (と呼ばれていて、自分でも言ってた)は、5,7,5で歌詞を作り、書き残してくれたのは、母ですが、とにかく大量に歌詞が残ってます。それには、全て曲があったそうです。残念ながら、母は楽譜、音楽オンチですからもちろん書けなかったのです。
今の時代ならIphoneでビデオに残して、youtubeに上げて、園児ユーチューバーとして世界中に知れ渡ってる、、なんて事はないでしょうが、とにかくシンガソングライターひろちゃんだったんです。
その後も、電子オルガン、ブラバンを経験し、そして色んなジャンルに興味をもち、ジャズも弾いたり、演歌、ポップスもなんでも、ミミコピ、コードだけで勝手に即興して遊んでました。
あら?クラシックは?
ピアノを始めたのが中2の終わりなんで、ただ音大に行きたいだけでピアノ弾いていました。いや、ピアノは好きでしたよ!
ピアノで遊ぶのが!
いろんな音楽に興味あり、とにかく初見で沢山弾いて遊んでましたね。ドビュッシー、坂本龍一、ビルエバンスは山根の音楽のベースになってるかもしれないくらい弾きましたね。
一番初めの、発表会は、幻想即興曲、次は、英雄ポロネーズ、次は、ラヴェル 水の戯れ、ドビュッシー 花火、、
ほら、ちゃんとクラシック弾いてますよ!
ただ、普通の道を進んでない!とは、音大に入るまでは気がつきませんでした。好きな曲を弾いていただけ!!バッハ、ベートーヴェン、ショパンは受験にいるので、真面目に練習はしましたよ。たまに、クラシックも楽譜を無視してアレンジして、、先生に、、、褒められた^ ^:
国立音楽大学へ入ったのは、なんとなく自由っぽかったから。
そして、実際自由でしたね。
音大時代のある期間、バイトで、銀座のクラブでピアノ弾いていました。赤本(歌謡曲の楽譜とコードのみが大量に書いてある分厚い赤い表紙の楽譜!)で、お客様の歌の伴奏を弾いたり、BGMを演奏するやつです。
お客様(酔っ払いともいう)がオンチになったら、
「ピアノが、ずれてる!キー合わせろ!」
と言われ、半音下げたり、上げたりしてました。もちろん、知らない曲ばかりで、軍歌からジャズなんでも即興伴奏していました。で、意外と楽しかった。お金も当日、沢山もらえたし!!!!!!
これで鍛えられたかな。即興の楽しさ!
創ることの面白さを知ってしまいました。
そんな感じで、ミュージカル公演は、楽しかったの一言で、感動的な経験させてもらった山根は、更にそのミュージカルの総合プロデューサーのD氏から、あるお仕事をいただきました。
山根は、そこで初めて「ドラマ」とは何か?
を知ることになるのでした。
つづく
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