僕はコンクールに出たのは、30歳になってからです。運良く、色々なコンクールで優勝したり一位になりましたが、結果はそんなに重要ではありませんでした。ピアノを始めたのが遅かったのもあるけど(14歳くらいから)、とにかくピアノを弾く事が楽しかった。人と比べられたり、評価される事に興味なかった。もちろん、誰かに「勝つ」事にも全く興味なかった。
ほぼ毎日、帰宅帰りに楽器店の楽譜売り場で色々物色し、これ欲しいなーとか、これ弾きたいなーとか、たまには買って、レッスンとは別に自由に弾いて遊んでました。
もちろん、ピアノは好きだったけど、ピアノ科に行きたいとは思わなかった。国立音楽大学を選んだのは、親はびっくりしてました。国立大学の教育学部に行ってくれるはずだったからです。うちは母子家庭。経済的にも私立、しかも音大は無理!と何度も言われてとから。
その親が、国立音楽大学の教育音楽学部(ピアノ科ではありません!)に行く事を許してくれたのは、僕が本当に音楽が好きで、ピアノが好きっていう事を、母は初め知ったからです。
「そんなに好きじなんかね?じゃーどうせ受からんじゃろうから受験だけしてみー」
と思われていたのは、合格してからでした。^_^:
音大時代は、価値観の同じ仲間達と、楽しく充実した生活を送り、卒業後の期待感もありました。
教育実習を既に済ませ、僕の中に色々な変化がありました。音楽教育ってなんだろ?音楽をする事の意味は?色々考えているうちに、卒業してしまい、結局は公立学校教育の教員になることをやめました。
とはいえ、生活の為に、短期大学の保育科、幼児教育科のピアノを教えましたが、いま考えれば、その経験から、今があるんだなと思います。
そのころ、自分の生徒にはコンクールに出させたり、コンクールに勝ちたいという保護者からたのまれレッスンしてました。結果は、みな良いもので、全国大学や優勝、金賞とかよくありましたが、僕は結果にはあまり興味がなかったんです。それより、自分磨きの為に試行錯誤の毎日でしたから。
まわりでは、コンクールに出して良い成績を残してくれる、ピアノ講師に、レッスン受けたいという流れが出来てきてました。同時に、色々なコンクールの審査員を若い頃から依頼され、審査する立場から、レッスン内容と演奏、そして、ずーっと考えてき、自分が実践してきたこととを照らし合わせると、様々な矛盾があることに気づいてきた頃でした。そして、コンクールに勝つために音楽をさせている自分と、その音楽や音は、ほんとに自分が求めてるものではないとわかってる自分がいるという事実。それは、自分が、ウィーン、ドイツ、ノルウェー、ニューヨークなどで感じたものとは違うもの、そして自分も変化し続け理想に向かっているものとは明らかに違うと感じてました。
コンクールに勝てるレッスンは、簡単にできるんですよね。やってましたし、さらに自分自身も研鑽を積んで来ましたから。だけど、そのノウハウは、僕にとっては古いものになってきた以上、敢えてしない、事を選択しました。
メカニックより大切なもの、コンクールに勝つより大切なものを大切にしたい。
自分の信じる、音楽を楽しく、深くレッスンしたいので。
音楽で勝っても、何も残らない。特に今の時代。
音楽って、自分の人生を彩り豊かに、充実させてくれたり、生きてきく勇気や楽しさを与えてくれるものだと思います。続けことに意味があります。一生の友達です。
色々な音楽、人の気持ち、感じ方を受け入れる事で、音楽が音楽であり続けるんですね。それが楽しいんです^ ^
そして、今、ピアノを弾く事、音楽をする事で、人と音楽を介してコミュニケーションする事、自分の力で生きていける力を、子どもたちに、そして音楽を心から愛している方に、一生音楽と付き合っていくことができる手助けをしていくために、教え、演奏しています。
